がんを明るく生きる

人それぞれに、生きる意味は違う―小橋建太(元プロレスラー)

2014年9月30日

がんを堂々と受けて立つ、しかも正面から。手術のときは生きることを考え、復帰のことは頭にありませんでした。

 

絶対あきらめずに前に進むことが大事と病気が教えてくれた

vol4_kobashi032つある腎臓の片方を摘出。ステージは1と2の間で、転移も見られなかった。手術は成功したが、術後の気持ちの落ち込みがひどかった。練習ができず、体重も筋肉も落ちた。さらに気力も湧かず、泥沼にはまっていく日々――。

「これから人間としてどうなっていくのか、と一日中何もせず、ソファーに座っていました」

そんな毎日を脱しようと、小橋さんは中井川先生に電話をかけた。「水中歩行をするくらいならOK」と言われて、退院から2週間後、ようやくリハビリを開始。

「手術から1カ月後に初めて道場に行き、リングで寝てみたら、『自分の帰ってくる場所はここだ』と痛感しました。そこからです、気持ちが前向きになってきたのは」

復帰には、筋肉を戻さなければならない。しかし、筋肉をつくるために必要なタンパク質が腎臓に一番悪い。リハビリは思うように進まなかった。希望が見えたと思えば、再び目の前が真っ暗になった。「本当に苦しかった」と、小橋さんは当時を語る。

苦しいリハビリを乗り越えられた背景には、後に妻となる真由子さんの食事はもちろん、献身的なサポートがあったからだという。そして07年12月。小橋さんは再びリングに戻った。

「人それぞれに生きる意味が違いますが、小橋さんのそれはリングに上がることだったんですね」

復帰に猛反対した中井川先生が、試合後にそう声をかけてくれた。

10年たてば完治、といわれる腎臓がん。現在は、3カ月に1度、定期健診を行い、半年に1回はCTも撮っているという。

「プロレス以外にもまだ自分にできることはほかにもある。誰でも自分にしかできないことがあると思います。あきらめずに前に進んで、生きて頑張る。それをみんなに伝えていきたいです」

(左)第6代GHC ヘビー級王者となり、「絶対王者」と呼ばれた小橋さん。26 年間、全力で打ち込んできたプロレスについては、「青春だった」と振り返る。 (右)少年時代からがん闘病生活まで、自身の半生を綴った『自伝 小橋建太 悔いは、ない』の表紙。
(左)第6代GHC ヘビー級王者となり、「絶対王者」と呼ばれた小橋さん。26 年間、全力で打ち込んできたプロレスについては、「青春だった」と振り返る。(右)少年時代からがん闘病生活まで、自身の半生を綴った『自伝 小橋建太 悔いは、ない』の表紙。

小橋建太さんの今
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「今後は講演会やトークショーを積極的に行っていきたい。がんだけじゃなく、心の病気を抱えている方がたくさんいるので、自分の経験談を伝えることで、少しでも元気を出してくれればと思っています」。ファンとの交流の場となるトークショーの他、自身のがん闘病の経験を伝える講演会を開催。腎臓がん、そして、度重なるケガなど、数多の逆境を乗り越えてきた小橋さんだからこそ伝えられる言葉で人々にエールを送る。

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