遺伝子解析技術の向上で、 がん予防や治療に新たな展開が期待
一般の人を対象にした民間の遺伝子検査サービスが広がっていますが、その品質の問題も懸念されています。一方、医療としての遺伝子検査も広がってきており、がん治療分野でも遺伝情報の解析が欠かせないものになりつつあります。
インターネットで「遺伝子検査」を検索すると、「○○遺伝子検査キット」、「△△美容皮膚科の遺伝子検査」といったIT企業をはじめとする広告が次々と出てきます。酒の強さや太りやすさ、がんや生活習慣病などになりやすい遺伝子を調べて、検査項目ごとに判定する個人向けサービスです。個人が検体(唾液や毛髪など)を郵送すると、細胞のDNA配列に含まれるSNP(スニップ)と呼ばれる遺伝情報を解析装置が自動的に読み取り、数週間後にテスト結果が通知されます。
米国では2000年代初期から遺伝子検査サービスを提供する企業が出始め、過剰な宣伝活動が問題視されたこともありましたが、現在は国の疾病管理予防センターによって遺伝学的検査の品質保証体制が整えられています。このような消費者直結型の遺伝子検査サービスは日本にも上陸し、マーケットを広げています。
しかしながら、分析結果の品質保証や遺伝子型と疾患の科学的関連が低い検査項目などもあり、「国際標準の管理体制が不十分」との声が遺伝医学専門家の間で少なくありません。高田史男北里大学病院遺伝診療部長(臨床遺伝学教授)は「科学的根拠の希薄なものが多く、遺伝カウンセラーが関与しておらず倫理的に問題のある検査もある」と指摘しています。
消費者直結型の遺伝子検査サービスと一線を画すのが、医療としての遺伝子検査です。下の表は、日本医学会が作成した「医療における遺伝学的検査・診療のガイドライン」による遺伝子関連検査の分類です。検査目的は、発症している病気の診断を中心に、保因者診断、発症前診断、出生前診断、がんや多因子疾患の特定、感染症の病原体検出など、多岐にわたっています。
遺伝性がんは5〜10%、圧倒的に多い後天的要因の発がん
人間の体は、精子と卵子が受精してできた1個の細胞(受精卵)が60兆個もの細胞に分裂してできており、親から受け継いだすべての遺伝情報がどの細胞にも書き写されています。そのうち次の世代を作る精子と卵子を生殖細胞と呼び、生来的な体質を決定付けています。
この生まれつき持っている遺伝子配列を調べる遺伝子検査では、遺伝性のがんなどの疾患、発症リスクなどが明らかにされます。一方、細胞が分化する過程で(後天的に)生じる遺伝子変異によって、がんが引き起こされる場合もあります。一般的に遺伝性がんは全体の5~10%と推定され、後天的変異による発がんのほうが圧倒的に多いのです。
近年、変異した遺伝子や働いている遺伝子の種類によって、がんの性質(感受性)が異なることが分かっています。それに基づき、同じ臓器がんでも遺伝子の種類に応じた個別化治療が重視されるようになってきています。最先端の遺伝子検査技術の開発は、米国の検査企業や医療機関が先行してきました。
抗がん剤投与の効果や副作用が検査で予測可能に
米メモリアル・スローン・ケタリング(MSK)がんセンターが開発した検査法「MSK-IMPACT」は、460個以上のがん関連遺伝子と18種類の融合遺伝子(2016年10月現在)を網羅的に解析し、患者さんの特性に応じた抗がん剤選定を売りにしています。
順天堂大学医学部附属順天堂医院は提携の形で、がん患者さんの検体をMSKに送る遺伝子解析の委託を行っており、検査内容と結果の説明を含む費用は61万5780円と高額です。京都大学医学部附属病院でも、米企業が開発したがん関連遺伝子変異の最新検査「オンコプライム」に着目。送った検体から200を超えるがん関連遺伝子変異を解析したデータを受け取り、がん診療に役立てていますが、患者さんが支払う検査料は88万3980円とさらに高額。16年4月にがん遺伝子診断部を設置した北海道大学病院は、先のオンコプライムに加え、ドイツ企業の最新検査キットを導入し、がん遺伝子の網羅的解析を院内で始めています。検査料は40万〜73万円です。
乳がんの手術を受け、抗がん剤投与の要否を判断する際に使われる遺伝子検査として、米国で開発されたオンコタイプDXとオランダで開発されたマンマプリントが世界的に知られ、いずれも大規模臨床試験で臨床有用性が実証されています。日本では前者が2007年から、後者が翌年から使われていますが、いずれも保険適用外のため、40万円前後かかる自己負担額が普及を阻んでいるとされています。
こうした状況の中、「臓器別に対応してきたがん診療が、がん細胞の多様性に合わせた個別化医療の時代に向かっている」(藤原康弘国立がん研究センター中央病院副院長)、「抗がん剤の副作用も遺伝子検査で予測できるようになり、がん治療に遺伝情報の解析が欠かせなくなる時代は近い」(古川洋一東大医科学研究所臨床ゲノム腫瘍学分野教授)など、遺伝子検査の進展が、がん治療に新たな展望をもたらしつつある事実も忘れてはなりません。
医事ジャーナリスト(取材時現在)