医師と患者さんがお茶を飲みながら対話し、心を通わせる「がん哲学外来」。患者さんやご家族の心の痛みを癒すスピリチュアルケアの重要性が認められる中、「がん哲学外来」ではどんなことをしているのか。その様子を提唱者である樋野先生に伺った。
友人やご家族にがん患者さんがいる場合、何とかして当人の病気や死への不安を軽減してあげたいと思いますね。それは周囲の人たちが勝手に、「がん患者さんを悩ませているのは病気や死への不安」と決めつけているからです。ところが、「がん哲学外来」で患者さんの心の声に耳を傾けると、病や死への不安より人間関係の悩みのほうが多いのです。「夫や妻の態度が冷たく感じられて家に居場所がない」と孤独を感じたり、主治医に質問をしただけなのに、「他の病院に行かれたらどうですか」と言われて傷ついている患者さんは少なくありません。
そうした悩みを解消するために、私は面談の場にご家族や主治医を呼ぶこともあります。双方の意見を聞いて橋渡しをすると徐々にわだかまりが解けて会話が始まります。ちょっとした気持ちのズレが原因していることが多いので、軌道修正はそれほど難しくありません。これが、「がん哲学外来」のモットーとする偉大なるお節介です。
同じお節介でも、自分の気持ちを押し付けるのは余計なお節介。例えば闘病中で食欲がない夫に、あれこれ食べさせようとしてはいませんか? 例え相手の身を案じるが故の行為であったとしても、残念ながらこれは余計なお節介です。食べようとしても食べられない相手の苦しみを本当に理解しているでしょうか。ご家族や周囲の方には、そこを忘れてほしくないのです。
患者さんに前向きな気持ちになってもらうために私が心掛けているのが、「言葉の処方箋(せん)」です。ある日の面談で、患者さんからこんな質問を受けました。「定年まで1年を残して余命1年と告げられました。このまま仕事を続けるべきでしょうか。残されたわずかな時間を仕事ではなく、趣味など、もっと好きに生きたほうが良いとも思うのです」。定年後の第二の人生を思い描いていた人にとって、なんともつらい宣告です。
けれども見方を変えて、自分の人生と向き合うチャンスを与えられたという解釈はできないでしょうか。「自分とは何か、与えられた使命とは……」。そう考えていくと、おのずと答えは出てくるはずです。そこで、私はこう答えました。
「仕事は続けられたらいいじゃないですか。なぜなら人間にとって大切なのは、ただ長く生きることではなく、どう生きたかということだからです」。そして、私は患者さんに次のような言葉を贈りました。
人生の目的は品性を完成するにあり―。
これは私が尊敬するキリスト教の思想家、内村鑑三の言葉です。語り継がれる言葉には、孤独や挫折感に悩む人を元気にする力がある。この患者さんも、くじけそうになるとこの言葉を反芻(はんすう)するそうです。
こんなふうに私は、これまで自分が温めてきた言葉を患者さんに贈るようにしています。それは病理学の師である吉田富三の言葉であったり、若い頃に影響を受けた新渡戸稲造や内村鑑三の言葉であったり。ですから私は一人ではなく、尊敬する偉人たちとチームを組んで、患者さんと向き合っていることになります。
人は言葉によって救われる。琴線に触れる言葉に出会うと表情が変わるので分かります。その出会いを、これからも多くの人に体験してもらいたいと思っています。
シリーズ【樋野先生の「がん哲学」】第6回(最終回)はこちらから
樋野興夫(ひの・おきお)
医学博士。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、癌研実験病理部長を経て、順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授に就任。一般社団法人がん哲学外来理事長も務める。著書に『がんと暮らす人のために がん哲学の知恵』(主婦の友社)、『がん哲学外来コーディネーター』(みみずく舎/医学評論社)など。(取材時現在)
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http://www.gantetsugaku.org