今回からは、医学的なお話をしていきましょう。
第1回目のコラムでも取り上げましたが、私は消化器、特に上部消化管と言われる胃・食道のがん治療を専門にしています。消化管とは食道から肛門までにいたる、一本の管のこと。食べ物の消化・吸収を行う臓器ですが、なかでも食道から胃は「食べて消化する」という、人の基本的な営みを支えています。まさに快食・快便と申しますが、食事を美味しく食べるということは、人間の大きな楽しみのひとつですし、実際、胃がんになり手術で胃袋を全摘するとなると、多くの患者さんが抵抗感を示します。それは同感ですし、可能であれば少しでも胃を残す工夫を常に考えています。
逆流性食道炎が増加する背景とは?
上部消化管の疾患で近年増えているのは、胃液や胃の内容物が食道に逆流することで食道の粘膜が炎症を起こす「逆流性食道炎」です。胃液には強力な酸が含まれますが、これが食道に逆流して食道粘膜を傷つけ、胸やけや胸の痛みといった、不愉快な症状を引き起こします。
逆流性食道炎が増えてきた背景にあるのは、胃の中に住み着き胃壁を傷つける「ピロリ菌」に感染していない人が増えてきたことが考えられます。昔はピロリ菌の感染者が多く、そういった方は加齢に伴い萎縮性胃炎が起きることで胃の働きが弱くなり、胃酸も出にくくなることから胃酸の逆流が起こりにくかったと考えられています。しかしピロリ菌に感染していないとご高齢となっても胃は元気なままですので、逆流性食道炎を引き起こしやすくなってしまいます。
夜間睡眠中に高齢者がせき込んだり、市中肺炎(病院以外で起きる肺炎)になるのも、食道に逆流した胃液と口の中の細菌が肺の中に流れ込んでしまうことが一因と思われます。ひんぱんに肺炎を起こす方に逆流性食道炎の治療をきちんと行うと、症状が改善することが多く見受けられます。
ピロリ菌こそ、胃がんを発症させる最大のリスク
一方、ピロリ菌の感染が減ったことは、がん予防の見地に立つと朗報です。慢性的なピロリ菌感染は、胃の粘膜の萎縮・線維化を招き、さらに進行すると胃がんに発展しかねません。ピロリ菌に感染した方が必ず胃がんを発症するわけではありませんが、胃がんになった方のほとんどはピロリ菌に感染しています。つまり、ピロリ菌の感染者が減るということは、胃がんの発症リスクが低下するということになります。昔は井戸水を飲用したり、下水といったインフラも未発達だったのでピロリ菌の陽性は珍しくなく、私より年配の世代なら8割以上が感染していました。しかし現在では20代なら2割以下の感染率になりました。
また、萎縮性胃炎に塩分過多の食事が加わると胃がんリスクは高くなりますが、いまは塩分に気を使う人も増えていて、これも胃がん発症リスクの低減につながっているようです。塩分摂取量が多い東北の方に胃がんが目立ったのも、そういった食生活が関係していました。これにタバコやアルコールも加わると、発症リスクはより高くなるというわけです。
いってみれば、「胃がんにピロリ菌あり」ということですが、いまは慢性胃炎でのピロリ菌検査は保険がききますので、胃の不調を自覚されている方は、ご自身がピロリ菌に感染しているかどうか、一度検査されることをお勧めします。ピロリ菌は肝炎ウィルスなどと異なり、胃液の酸性濃度の薄い幼児期の食べ物の口移しなど特別なケースを除いては、人から人へ伝染する可能性は低いですが、陽性が確認されたら、薬で除菌することで、胃がんとなるリスクを低下させることができるので、お勧めします。
食道がんを招く生活習慣とは?
食道がんについては、タバコとアルコールとの因果関係が大きいことは研究結果から明らかになっています。食事の刺激物の過剰摂取も関係すると思われます。特に、お酒を飲むと赤くなる通称「フラッシャー」にあてはまる方にとって、アルコールはがんのリスクを急激に高める最大の要因です。アルコールが体内で分解されて、発がん物質のアセトアルデヒドができるのですが、お酒で顔が赤くなる人はアセトアルデヒドを分解しづらい体質なのです。その影響を最も受けやすいのが食道であるため、フラッシャーは食道がんリスクが高いわけです。下戸で全くお酒が飲めない方であれば、ほとんど飲酒しないのでリスクは下がりますが、お酒で顔が赤くなるにも関わらず飲む方は、困ったことになります。
また、胃がんと同じく、喫煙する方だとさらに発症する可能性は上がります。香辛料などもマイナス要因。イギリス人女性は白人にしては食道がん患者が多いのですが、これは熱湯のような紅茶をたくさん飲むからだと言われています。過度な刺激は避けたほうが良いでしょう。
このように、生活習慣を変えるだけで胃がんや食道がんのリスクはかなり抑えられます。
定期的な検診受診とあわせて、ぜひリスクを抑える生活習慣を心がけてください。
東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科教授(食道・胃外科担当)。1984年、千葉大学医学部卒業後、同附属病院第二外科入局。87~91年、同大学院医学研究科博士課程(外科系)、91年~93年、マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学外科研究員。97年、千葉大学附属病院助手(第二外科)、02年、千葉大学院医学研究院講師(先端応用外科学)、08年、千葉県がんセンター主任医長(消化器外科)。08年、千葉大学医学部付属病院疾患プロテオミクス寄付研究部門客員教授(消化器外科)、09年10月より、現職へ。胃がんや食道がんの専門医として評価が高い。(取材時現在)
東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科
http://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/gastro_surgery/index.html