消化器がんの治療は、食事をはじめとした日常生活に深く影響します。外科手術の際に腫瘍の周辺の組織やリンパ節などを含めた広い範囲を切除したほうが完治率は高くなるかもしれませんが、臓器や体の機能を失うことで生活に支障をきたすこともあり、QOL(生活の質)とのバランスはとても重要です。そこで今回は、消化器がんの治療とQOLの関係についてお話しします。
QOLを意識した消化器がんの治療が進みつつある
食道がんでは、がん細胞の浸潤(しんじゅん:がん細胞が組織内部の深くまで進行すること)が進み、発声に関わる声門の近くまで迫ってしまうと、声門も一緒に切除しないと、がん細胞を取りきれなくなるケースがあります。ところが、声門がなくなれば、患者さんは声を失ってしまうことになります。
ひと昔であれば、がんを治すのだから、痛みを伴ったり、体の機能が損なわれたりしても仕方がないという風潮がありました。ところが近年は、生活の質を大切にするという考え方が重要視されるようになり、「しゃべれないなら死んでも構わない」とお考えになる患者さんもいらっしゃいます。放射線治療や化学療法の効果が向上していることもあり、外科手術を選択せずに治療することもいまは珍しくありません。
胃がんだと、治療の確実性を高めるために、胃の3分の2は切除、あるいは全摘出したほうが安心ではあるのですが、「少しだけでも残してほしい」という声は患者さんからよく聞きます。その場合、日本胃癌学会が定めている治療のガイドライン通りではありませんが、患者さんがどのくらい理解されているかを見極めたうえで、「これくらいは残しましょうか」という結論に至ることもあります。胃を残したことで再発率が増えないとは言い切れないので、そのリスクをご理解いただいたうえでの要望なら、医師として拒否することはできません。
人工肛門にする?しない?治療後に後悔しない選択を
大腸がんで、QOLを考える際によく課題となるのが肛門の話題です。人工肛門にするかしないかは、患者さんにとって重要な問題です。「絶対に人工肛門はイヤ」という方は少なくありませんし、その場合は、がんの根治性を損なわせないために、括約筋の内側と外側を切り分けるなど、工夫することで肛門を残すようにします。ただし、外科医がかなりの工夫をして残しても、術後1年くらいは便失禁が続くことがあり、「こんなはずじゃなかった…」と後悔される患者さんもいらっしゃいます。
一方、人工肛門ですが、1日1回、時間を決めて洗えば、そこから24時間は臭いなどを気にすることはほとんどありません。コツさえわかれば、取り扱いの手間もかかりません。そういった治療後の生活をきちんとイメージしていただき、どうするのかを一緒に決めるようにしています。
患者さんが後悔しないために、とにかく大事なのは、医師とじっくり話し合うことです。何でも残せばいいと頑なにならず、実際はどうなのか、専門家に頼ってお話を聞いてみてください。ここで気をつけてほしいのが、「セカンドオピニオン」のあり方です。たくさんの病院に行かれる患者さんやそのご家族がいらっしゃいますが、いくら多くの医師からお話を聞いても、実際に治療を開始しなければ患者さん自身の容態が良くなるわけではありません。むしろ、セカンドオピニオンの手続きによって時間が経つことで、病状が悪化することもあるのです。もちろん、セカンドオピニオンは重要な意見が得られる場合があり、大切な権利ですから否定しませんが、あまりにも多くの治療方法を気にすることにより、結果的に治療の開始時期が大幅に遅れてしまうことで患者さんや家族に不利益になる可能性があることも忘れないでください。
「緩和ケア」でがんによる身体的・精神的な苦痛を和らげる
がんによる身体的・精神的な苦痛を和らげる「緩和ケア」も、消化器がんの治療には欠かせません。
病状の悪化や薬の副作用によってQOLが悪化してしまうケースは珍しくなく、主に薬物療法によって症状を緩和する必要があります。積極的な治療のできない末期がんの患者さんでは、特に、吐き気、疼痛(とうつう)、倦怠感に苦しむことが多いため、その症状を緩和することを目的とする治療を行います。また、先ほどお話しした、大腸がんの患者さんに、一旦は温存したご自身の肛門の使用を断念して、人工肛門を作って排便の不具合を解消するという考え方も緩和ケアのひとつです。消化管ホルモン全体の分泌を抑制させる「サンドスタチン®(※)」を使った緩和ケアは、吐き気などを軽減させる方法として確立されています。
がんになっても、患者さんの生活は続いていきます。痛みや苦しさを少しでも軽減し、自分らしく、充実した生活をおくれるように、がんそのものに対する治療と同様に、QOLを改善する取り組みが今後さらに発展していくことを願います。
※「サンドスタチン®」は、ノバルティス アクチエンゲゼルシャフトの登録商標です。
東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科教授(食道・胃外科担当)。1984年、千葉大学医学部卒業後、同附属病院第二外科入局。87~91年、同大学院医学研究科博士課程(外科系)、91年~93年、マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学外科研究員。97年、千葉大学附属病院助手(第二外科)、02年、千葉大学院医学研究院講師(先端応用外科学)、08年、千葉県がんセンター主任医長(消化器外科)。08年、千葉大学医学部付属病院疾患プロテオミクス寄付研究部門客員教授(消化器外科)、09年10月より、現職へ。胃がんや食道がんの専門医として評価が高い。(取材時現在)
東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科
http://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/gastro_surgery/index.html