抗がん剤などによる副作用は様々な形で患者さんを悩ませます。これをサポートする医療として重視されているのが緩和ケアで、薬剤を使った治療が主流です。しかし、患者さんの中には薬剤に負担を感じている人もいます。薬剤を使わずにQOLを上げる研究に取り組んでいる内山先生にその1例を紹介してもらいました。
がんの患者さんは年々増えていて、私が専門とする歯科口腔外科の分野も例外ではありません。そこで、外科療法、化学療法、放射線療法の他、これらをサポートする緩和ケアについても、積極的な研究を続けています。最近では、早期から治療に緩和ケアを取り入れた場合の効果が認められ、当センター以外にも緩和ケアに前向きな医療機関が増えているようです。
ただし、現状の緩和ケアは、医療用麻薬の他、安定剤や抗うつ薬などを用いた薬物療法が中心です。当然、医師たちは患者さんの心身の状態を考慮したうえで薬物療法を行っているのですが、薬が増えたことが患者さんの負担になってしまう場合もあります。こうしたことから薬剤以外のQOLを上げる方法を提案することも、医師の役目と私は考えます。
これまでにも、放射線治療によって生じるドライマウス改善の研究や、がん患部の消臭に関する研究などに取り組んできました。また、疲労や副作用などで家にこもりがちな在宅の患者さんに対し、笑いの効用を取り入れたセミナーを開いたり、富士登山を呼び掛けて挑戦したこともありました。
現在、研究中で効果の手応えを実感しているのが、「香りの療法の有用性」についての研究です。古代より植物から抽出した精油の香りは、人間の嗅覚や触覚を刺激して、リラクゼーションやリフレッシュなどの効果を発揮するとされてきました。そこで、この研究では、患者さんにアロマウォーターの香りを嗅いでいただき、香りとQOLの関係を調査しています。ヒントになったのはアロマテラピーです。近ごろは日本でもアロマセラピストの資格をもった人が、美容やエステ業界などで活躍していますが、医療現場への導入はまだあまりなされていません。しかし、もともとアロマテラピーは健康増進を目的としたものですから、患者さんのQOL向上に役立つのではないかと考えたわけです。しかも、薬剤を使いませんから、体への負担はほとんどありません。
研究については以下にまとめた通りです。ラベンダー、レモングラス、ヒノキなど7種のアロマウォーターを用意し、入院中及び在宅のがん患者さんにその日の気分で香りを選んで嗅いでいただき、その結果、食欲や気分、仕事への意欲などにどのような変化が生じたかを答えてもらいました。
<がん緩和ケアにおける「香りの療法」の有効性>
■研究方法
研究には卓上小型超音波アロマディフューザーと、ラベンダー、ヒノキ、レモングラス、カサブランカ、バラ、イチゴ、サクラの7種の特別に調合したアロマウォーターのKanwa香®を使用。
患者さんは朝の気分で当日使うKanwa香®を1種類選択。Kanwa香®20ccを水で薄めて60ccにし、これを3時間ほどかけて噴霧する(噴霧する時間帯は自由)。起床時と就寝前の1日2回、「体の調子」「気分」「行動力」「痛み」「吐き気」「食欲」「家事・仕事」「交友」「不安」「睡眠」の10項目(掲載は8項目)について、香りが及ぼす影響をセルフチェックした。
■対象
がん治療中及び終末期医療中で、研究内容に同意した患者さん。
■結果
(各グラフの横軸はQOLスコア。数値が高いほどQOL改善度が高いことを示す。項目別のグラフは、緑の棒の数値が高いほどQOLの改善度が高く、赤はマイナス)
総合的には、ヒノキ、カサブランカ、サクラの改善度が高く、バラは、「食欲」や「痛み」などに、マイナスに働くこともある。レモングラスには、「家事・仕事」への意欲、「食欲」などを高める働きがあるが、「痛み」や「不安」のあるときには、選ばないほうがいいという結果に。これは香りの使い分けが重要であることを示している。
研究は継続中ですが、香りとQOLが密接な関係にあることはいえると思います。抗がん剤による治療が長くなってくると様々な副作用に悩まされ、QOLが低下してくるものなのですが、「香りの療法」を行った患者さんの多くはQOLが上がっています。一般的にがんの患者さんは、レモングラスやヒノキのようにさっぱりとした軽い香りを好みますが、末期がんの患者さんは、ラベンダーやイチゴのようなやや強めの香りによい刺激を受けるという傾向も分かってきました。末期がんの患者さんのご家族の中には、「本人が薬よりアロマウォーターがほしいといっています」と、アロマウォーターを取りにみえた方もいました。
患者さんの感想としては、「よく眠れるようになった」「だるいときに香りが刺激になっていい」「アロマディフューザーからの蒸気を見ていると心が和む」など。アロマディフューザーとは、空間に香りを広げるための器具で、いろいろなタイプがありますが、患者さんには煙のように蒸気の出るタイプが好評でした。
その日の気分で香りが「選べる」というのも、QOL向上の一因ではないかと考えられます。治療を進めていくうえで、主治医と患者さんが話し合う局面はいくつかありますが、患者さんには医学的知識はありませんから、ほとんどの場合、医師に選択を委ねることになります。
しかし、「香りの療法」は専門家の調合したアロマウォーターの中から、患者さんが自分の意思で香りを選ぶことができます。その日の気分や体調によって、自分でコントロールできる療法で、自主性が生かされる点が、食欲や行動力の向上につながっているのだと思います。
「香りの療法」は、使いやすいコンパクトなアロマディフューザーと、アロマウォーターがあれば家庭でもすぐに始められることなので、興味のある方はぜひ試してみてほしいと思います。ただし、アロマオイルを使うときは注意してください。精油の場合は、香りがカーテンや壁などに浸透する可能性があるからです。「この香りは今日の気分に合わない」「気分が悪い」と思ったら、ディフューザーを停止して空気を入れ替えたら、すぐに香りが消えるものでなくてはいけません。それには、アロマウォーターを選ぶことです。
研究に使用したのは特別に調合したオイルを取り除いたアロマウォーター(無農薬栽培した植物を粉砕して作ったもの)ですが、市販のアロマウォーターでも、残香性や移香性のない(香りが衣服などに移らない)タイプがあります。治療中は、香りに敏感になっているので、アロマウォーターを多めの水で薄めて、微香から楽しむ工夫もしてください。
1959年、長野県生まれ。84年に東京歯科大学を卒業し、慶應義塾大学医学部歯科口腔外科学教室入局。93年に独立行政法人国立病院機構栃木医療センター(旧・国立栃木病院)歯科口腔外科へ。現在、同センターの歯科口腔外科部長、口腔顎顔面インプラントセンター長を務める。(取材時現在)