遠藤 格(えんどう いたる)
横浜市立大学附属病院 消化器・肝移植外科診療科部長
1985年、横浜市立大学医学部卒業。帝京大学溝口病院外科助手、横浜市立大学附属病院外科学第2講座助手などを経て、94年からアメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校肝移植センター留学。帰国後、横浜市立大学大学院消化器病態外科学准教授、アメリカ・メモリアル・スローン・ケタリング癌センターに留学。2009年8月に横浜市立大学医学部消化器・腫瘍外科学講座主任教授に。(取材時現在)
進行が極めて早く、転移しやすい膵がん。手術ができても、5年のうちに75%の人が亡くなってしまう――。「それでも患者さんの最善を考えて手術をするのが外科医の任務」と語る胆・膵がん治療の第一人者。膵がん治療の現状や最新の研究に迫った。
早期発見がしにくく完治も難しい、と恐れられている膵がん。肺がんや大腸がんは、一般的に6割程度の人が治るといわれているが、それに対して膵がんは1割未満である。
「なぜ治りにくいかといえば、手術をしても目で確認できない微小ながんが残ってしまい、それがいずれは再発したり、転移するからです。それでも手術を行うのが外科医の務めです。とはいえ、進行が極めて早い膵がんは、食欲がない、やせてきたなど何らかの自覚症状が出てきたときは、手遅れという場合も多い。膵がんと診断された方のなかで手術のできる人は4割程度です」
そして、遠藤は次のように警鐘を鳴らす。「そもそも膵臓の働きの一つは、インシュリンを分泌して糖分を処理し、エネルギーへと変換すること。ですから、糖分の過剰摂取で起こる糖尿病の方は、膵がんのリスクが高い。50歳を過ぎたら年1〜2回は超音波検査を受けてください」。
静かな語り口の奥に、相手の気持ちに寄り添う優しさと雰囲気が漂ってくる。
医師の家系ではない。父は銀行員だった。なぜ医師に、しかも、最も難しい手術の一つとされる膵がんの外科医を選択したのか。
「子どものころに、アフリカで医療活動をしたシュヴァイツァー博士の伝記を読んで感銘を受けたのは覚えていますが、どうしても医師にという強い志があったかどうかは疑問ですね。一時は建築家もいいな、と思ったくらいですから」
勉強一筋といった青年ではなかった。高校時代のクラブ活動は美術部。夜行列車で松本まで行って、北アルプスの穂高岳で風景画を描いたりした。仲のいい友人たちと映画を作ったりもした。
横浜市立大学医学部ではヨット部で活躍。ちなみに夫人はフェリス女学院のヨット部のマドンナだった。遠藤の溌剌とした青春時代を彷彿とさせる。「外科が性にあっていたのでしょうね。がんだけではないですが、悪いものを切り取り、体のなかをきれいにして、手術が終わった翌日から、患者さんはだんだんとよくなる。目に見える手ごたえがあります。初めて病棟に出た医学生のとき、内科、外科、放射線科、麻酔科といろいろ回って、チャレンジしたいと思ったのが外科でした」。
こうして遠藤は1985年、一般外科の医師となる。そして、胃がん、乳がんなど多くの手術を行ってきた。しかし――。7年後の1992年のこと。遠藤は、進行した胆道がんの手術に立ち会った。
「肝臓、膵臓の機能を損なうことなく、肝臓に広がった微小ながんを取り除く、極めて難しい手術を見て、感動しました。外科医として憧れる手術でした。しかもその患者さんは、術後7年も生きられた。当時は5年生存率が15%だった時代です。まさにミラクルでした」
この恩師との出会いを契機に、遠藤はそれまでの一般外科医から、肝・胆・膵の専門外科医として道を究めていく。
そしておよそ20年。遠藤は、かつての恩師と同じ立場の第一線の膵がんの外科医として、また「後輩を育て、医局と教室を運営する」管理職として、寝食を忘れる忙しさの真っただ中にいる。