症状が出にくく早期発見の難しい食道がん。食道は狭い空間で気管や肺静脈などと隣接しているため、外科療法は難易度の高い大手術となります。しかし、最近では複数の治療を組み合わせた集学的治療が進み、患者さんの体への負担が少ないロボット手術も可能になってきました。東京大学医学部附属病院の瀬戸泰之先生に食道がんの早期発見方法から、最新の治療法までお聞きしました。
目次
日本人に多い食道がんの種類と主な原因
食道は胸部にある直径2センチ、長さ25センチほどの管状の臓器で、喉と胃をつないで食べ物を胃に送る働きをしています。
食道に発生する食道がんには、「扁平上皮がん」と「腺がん」の2種類があり、日本人の食道がんは扁平上皮がんが約90%と多く、欧州では、腺がんの患者さんが多く見られます。
この違いは、生活習慣によるところが大きく、日本人の食道がんの主な原因としては、飲酒や喫煙、そして、高齢などが考えられます。
「飲酒をすると顔が赤くなる『フラッシャー』という症状のある人は、特にお酒を飲み過ぎないように注意すべきです」と瀬戸先生は警告します。飲酒後に顔が赤くなるのは、体内でアルコールが代謝される際に発生するアセトアルデヒドの毒性が原因で、顔が赤くなりやすいタイプの人は、アセトアルデヒドを分解する酵素が弱いタイプといえます。アセトアルデヒドが分解されないままにたまって食道に炎症を起こし、これががん化する可能性があります。
この他、栄養不足やビタミン不足も危険因子とされています。また、食道がんの罹患率の男女比は6対1で、女性より男性の罹患率のほうが圧倒的に高い傾向にあります。
一方、欧州の場合は腺がんが多く、この場合は、「逆流性食道炎」が大きな危険因子。胃酸の食道への逆流によって食道の組織が刺激を受けて、がん化しやすくなるのです。
これからは喫煙者の減少に伴って、日本人の扁平上皮がんの数は減ってくるだろうと予想されます。しかし、その一方、食生活の欧米化によって腺がんが増える可能性もあります。また近年、胃がん予防として行われているピロリ菌の除菌。これによって胃酸の濃度が高まり、腺がんになりやすくなるというようなケースが、ごくまれにはあるようです。
食道がんの早期発見には、定期的な内視鏡検査が有効
早期発見のために検診が重要なのは、どのがんも同じですが、「食道がんの場合、早期は無症状で気付かないことが多く、症状が出るのは全体の4分の1程度。早期発見には、定期的に内視鏡検査を行うことが重要です」と瀬戸先生はアドバイスします。
がんが小さいときに起こる症状としては、食道がしみるような感覚が挙げられます。徐々にがんが大きくなってくると、食べ物がつかえるような感じがしたり、体重が減少したりします。さらにがんが進行して食道近くの肺や神経に浸潤、あるいは転移すると、咳や痰が出たり、声がかすれたりします。
「早期に発見できなかったから治らないというわけではありませんが、少しでも早く発見して治療を受けることが大切です」
食道がんの病期(ステージ)と病期別の治癒率
食道の内面をおおう粘膜から発生したがんは、病期が進むほど粘膜下層に広がり、さらにその下の筋層にも入り込みます。その後、がんが食道の壁を破って広がっていくと、周囲には、気管、気管支、肺、心臓などの重要な臓器が多くあり、これらの臓器に浸潤していってしまうからです。また、がん細胞がリンパ液や血液の流れに乗って別の臓器へと流れ、そこで増殖する転移も起こります。
このように重要な組織に囲まれた食道でがん細胞が発生すると、他の臓器で発生したがんよりも浸潤や転移が起こりやすく、それを最小限に食い止めるためには、少しでも早い診断と治療が決め手となるのです。
例えば、ステージ0~1の患者さんは完治する可能性が高く、ステージ2の患者さんは約60%、ステージ3の患者さんの場合は、約40%の確率で治癒が期待できます。
食道がん治療の半数を占める外科手術について
実際に、どのような治療が行われるのかというと――。
リンパ節への転移が見られない場合は、内視鏡的切除術が一般的で、それより病期が進むと外科的切除が必要となります。食道がんでは外科的切除が全体の約55%を占め、その他には、放射線を当ててがん細胞を死滅させる放射線療法や、抗がん剤治療などの化学療法があります。
患者さんの中には、外科的切除と放射線療法を同等に考えて、「手術は避けたいので、放射線療法をしてほしい」という人もいますが、これに対して瀬戸先生は次のように説明します。
「患者さんは『傷がないぶん、放射線のほうが体に優しい治療』と思いがちですが、決してそうではなく、放射線療法によっても、肺炎や腎臓障害などの副作用が引き起こされることがあります。手術か放射線かの選択は、患者さんの病状に合わせて慎重に行われなければなりません。また、近年の傾向としては、外科的切除の前にがんを小さくすることを目的として、術前に化学療法や放射線療法を行うこともあります」
しかし、食道がんの外科的切除は大手術となるため、手術を避けたいと思う患者さんがいても無理はありません。食道がんの手術では、胸や腹、さらには頸部も開くため、傷も大きくなります。胃がんや肺がんなどの手術のように、がんの病巣だけ切除するというわけにはいかないのです。
「体の前方には胸骨があり、もし胸骨を割ったとしても、気管や心臓が現れるだけで、まだ食道には届きません。そのため、『開胸』といって、肋骨と肋骨の間や、胸膜を切開する必要があります」
ここからさらに特殊な麻酔によって肺を縮めてから、はじめて食道がんの手術をすることになり、患者さんの体の負担は相当なものです。
「しかし、最近では、『患者さんの体に優しい治療を』と、開胸をしないロボットによる手術も登場して治療成績を上げています」
患者さんの体への負担が少なく、合併症の少ないロボット手術が登場
東京大学医学部附属病院では、食道がん手術の難点を克服すべく「ダ・ヴィンチ®」によるロボット手術を導入。日本におけるロボット手術の先駆者として後継者の指導にも尽力する瀬戸先生は、そのメリットをこんなふうに語ります。
「ダ・ヴィンチ®には、細長いロボットアームやカメラが付いていて、これにより、人間の手が入らないような狭い空間でも手術ができます。アームやカメラの操作は、医師が患者さんから少し離れたところに設置されたモニターやキーボードを使って行います」
ロボットアームの特徴は、7つの関節可動域をもち、人間の関節よりはるかによく動く点。またカメラは3D画像のため、患部を立体的に捉え、拡大して見ることもできます。ロボットアームとカメラを自在に操作することで、精度が高くて細かい操作が可能となり、非常に小さい切開で手術を行うことができるのです。
さらに肺を縮めなくても手術ができるため、麻酔を用いる必要もありません。また、開胸手術では40%ほどの確率で肺炎などの合併症が起きますが、ロボット手術の導入によって、こうした合併症が避けられるようにもなりました。
「ダ・ヴィンチ®による食道がんの手術は、2018年4月の診療報酬改定で保険適用になりました。がんが小さい段階の患者さんに限定され、まだ導入している医療機関も少ないのですが、体に優しい治療として、今後広まっていくと予想されます」
躍進するロボット手術の分野で最先端とされるものに、ダ・ヴィンチ®(da Vinci Surgical System)がある。米国インテュイティヴ・サージカル社が開発した手術用ロボットで、数カ所の小さな切開部から、繊細で複雑な低侵襲手術を行う。2014年6月時点で、約3,100 台のダ・ヴィンチ®が全世界の病院に設置され、日本でも、同年7月から導入が始まった。現在、泌尿器科、婦人科、消化器外科、心臓血管外科、胸部外科、小児外科など、広い分野で治療に貢献している。「ロボット手術はまだ始まったばかりで長期的な治療成績は出ていませんが、この調子でいけば従来の手術と変わらない成績が期待されます」と瀬戸先生。
常に効果的な治療を目指す瀬戸先生は、患者さんの免疫力にも注目して、術後の免疫細胞治療や、化学療法と免疫細胞治療を併用した臨床試験にも着手。
「これからも放射線療法や化学療法は発展していくでしょうし、免疫細胞治療などと組み合わせた集学的治療も進むでしょう。けれども患者さんの負担を最小限にして治療効果を最大限にするためには、治療だけでなく、診断技術の進歩にも力を入れなければなりません」と、今後の課題についても語ってくれた。
東京大学医学部附属病院 胃・食道外科科長 教授
せと・やすゆき●1984年、東京大学医学部卒業。癌研有明病院を経て、2008年、東京大学医学部消化管外科学教授に。手術支援ロボット「ダ・ヴィンチ®」を用いた食道がん治療の第一人者として、体に負担の少ない手術方法を追求し続ける。日本外科学会理事、日本消化器外科学会理事などを歴任。(取材時現在)