がんの痛みを緩和する“がん疼痛治療”の中心となるモルヒネは、自然界が人類に与えてくれた最高の鎮痛薬だが、中毒になるといった誤解から悪いイメージを持つ人も多い。正しい知識を得て、積極的に使って欲しいと向山雄人医師は語った。
がん研有明病院で私が部長を務める、「緩和ケア科」の名称を「緩和治療科」へ変更して、1年が経ちました。がんに直面している患者さんとそのご家族が抱えている苦痛を早期に診断し、適正に治療することで、QOLの向上を図る診療を日々、チーム医療で実践しています。
がん緩和治療のゴールは「良く生きるために心と体の苦痛をとる」ことであることは、前回の記事「がん緩和ケアを早期から積極的に取り入れることで、生活の質を高めて延命効果も」でお話しました。今回は、がん疼痛治療の主役である鎮痛薬「モルヒネ」について説明したいと思います。
「医療用麻薬」に分類されているモルヒネは、「麻薬」という言葉から、「中毒になる」「廃人になる」「死を早める」など、負のイメージを患者さんやご家族はお持ちではないでしょうか。しかしこれは我が国に未だはびこる誤った「都市伝説」です。モルヒネは200年以上研究され、痛みを消すだけではなく、がんに伴う激しい咳や呼吸困難感(息苦しさ)をも緩和してくれることが検証されている自然界が人類に与えてくれた最高のプレゼントの一つなのです。
•世界の医療用麻薬使用量の比較
近年では日本でも使用量は増えてきていますが、それでも欧米諸国に比べるとまだまだ十分とは言えません。「人類に与えられた最高の鎮痛薬」であるモルヒネの誤解を解くためにも、モルヒネが痛みを消す仕組みから説明していきます。
まずは、痛みがどのようにして脳へ伝わるかを説明します。指先の傷を例にすると、傷ついた指先の細胞から、痛みを起す物質(発痛物質)が放出されます。
人の神経は脳・脊髄からなる「中枢神経」と、それ以外の多数の神経繊維からなる「末梢神経」から構成されています。この発痛物質は、末梢神経を刺激して痛みの信号を発生させ、おびただしい数の神経細胞が連なって構築されている神経経路を伝わっていきます。この痛みの信号は、神経細胞のあいだでは「神経伝達物質」と呼ばれる化学物質によって伝わります。この神経伝達物質を受け取るのが神経細胞の表面に突出する「受容体(レセプター)」です。
神経伝達物質を受容体によって受け取った神経細胞は、受容体を介してシグナルを出し、神経細胞内へ痛みの電気信号を送ります。この信号によって、神経細胞は新たな神経伝達物質を放出させ、次の神経細胞へと情報を伝えていきます。ちなみに神経細胞が痛みの情報を受け取る受容体を「オピオイド受容体」と呼びます。こうして、神経細胞を経て伝えられた情報は、脊髄を通って脳に達します。そして脳が痛みの信号を受け取り、私たちは「痛い」と感じるのです。
•WHO 三段階除痛ラダー
そしてこの痛みの伝達経路で、「オピオイド受容体」に作用する薬がモルヒネです。
モルヒネは痛みの原因となる神経伝達物質よりも先回りして「オピオイド受容体」に結合します。この作用により、神経細胞は痛みの信号を受け取ることができなくなり、痛みを止めることができるのです。
このようにモルヒネは「オピオイド受容体」に作用して痛みを改善することから、最近は、「医療用麻薬」より「オピオイド鎮痛薬」、または略して「オピオイド」と呼ばれることが多くなっています。
一方、痛みや呼吸困難感を改善する力を持つモルヒネは延命作用を持つことも報告されています。その結果は米国のがん専門誌『Cancer(キャンサー)』(2004年)に掲載されていますが、抗がん剤の効かなくなった患者さんで、モルヒネ内服量と生存期間を比較したところ、1日のモルヒネ投与量が多い患者さんが、痛みもない上に生存期間も長かったのです。
どうですか、皆様が持っているモルヒネののイメージは変ったでしょうか?
誤解が解消された方で、現在、強い痛みや激しい咳・呼吸困難感に苛まれていたら、すぐにモルヒネを使用した治療を医師に申し出て頂きたいと思います。
次回は、モルヒネなどのオピオイド鎮痛薬の種類や使い方についてお話します。
次回記事:モルヒネなどのオピオイド鎮痛薬 その種類・使用法・副作用を知る
アヘンから精製されるモルヒネは200年の歴史を持つ鎮痛薬
モルヒネはヘロインとともに、ケシ(芥子)から抽出されるアヘン(阿片)が原料。アヘンの強い鎮痛効果は、古代エジプトの壁画にも記録されているほど歴史は古く、1840年にはそのアヘンを巡るアヘン戦争が起きている。アヘンからモルヒネが初めて精製されたのは19世紀初頭、ドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーによる。1853年に皮下注射針が開発されると、以降モルヒネは優れた鎮痛薬として普及した。ちなみにモルヒネの名付け親はゼルチュルナーで、ギリシャ神話に登場する夢の神モルフェウス(Morpheus)に由来する。モルヒネをはじめとするオピオイド鎮痛薬のほとんどは「麻薬及び向精神薬取締法」「あへん法」「大麻取締法」で取り締まりの対象となっている。アヘン、ヘロイン、コカイン、大麻もこの法の対象である。