43歳で大腸がんを患い、再発に悲嘆して患者さんの痛みや悲しみを知った。がん治療への情熱がいっそう増しました
しかし、そんな金子にもどん底の時代があった。突然の腹痛に襲われて診察を受けると、進行大腸がんと診断された。すでにリンパ節や肝臓にも複数の転移が見られ、「5年生存率は10%」と宣告されてしまう。43歳。3人の子どもたちはまだ小さかった。
「消化器がんの専門家として、45歳になったらがん検診を受け始めようと思っていたのですが、まさか43歳でがんにかかるとは……」
大腸と肝臓の一部を切除し、化学療法も受けたが、翌年には再発し、再び手術を受けた。「何年か後には必ず教授に」と努力を続けてきたが、もはや、半年先に予定されている会議にすら出席できる保証はなかった。
「無我夢中でした。困難な抗がん剤のメニューを自分で組み、それを続けました」
副作用に苦しみながらも仕事を続ける金子の姿に、外科の主治医はこう声をかけた。「仕事もいいけど、もっとご家族との時間を大切にしてはどうか」。しかし、金子が減らした仕事量はわずかに1割ほど。仕事をやめたら自分の存在意義がなくなる。なんとしても仕事だけはやり通したかった。
「限界ギリギリの抗がん剤治療はあまりにしんどかったので、途中でやめました。これ以上続けたら、本当に死ぬと思ったからです」

以後、特別な治療はしていないが、なぜかそれからは体調がよくなり、15年間、再発なしで今日がある。どうやらがんは完治したようだ。
「正直いって理由は分かりません。すすめられるままにサプリメントなども飲みましたが長続きしませんでしたし。1ついえることは、仕事をやめなかった、アイデンティティーを失わなかったのが大きかったのではないかと思います」
ただし、最初の5年間は再発の恐怖に怯え、半年に1度の検査前日になると情緒不安定に悩まされた。「交通事故に見せかけて、いっそ死んでしまおうか。そうすれば家族に保険金を残すことができる」。そんな思いがよぎったこともあった。
今も元気なのは、がんと診断されたときの「5年生存率10%」が間違っていて、実際にはもっと高い生存率だったのはないかと考えることがある。だとすれば、「生存率をより正確に出すようにしなければ。この数値が患者さんに与える影響は大きいのだから……」。金子の研究課題がまた1つ増えた。
がんはつらかったが、「おかげで患者さんの気持ちをより深く理解できるようになりました」。壮絶な自身のがん体験が、多くのがん患者さんのために闘い続ける原動力となっているに違いない。
(敬称略)

金沢大学附属病院 消化器内科
消化器内科(肝胆膵疾患、消化管疾患)全般を担当し、がん診療連携拠点病院として、消化器悪性腫瘍の先進医療、最先端診療の開発に取り組む。例えば肝がんに対する経皮的ラジオ波焼灼療法は年間約250件実施。高い治療成績を得ている。
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