JT(日本たばこ産業)と京都府立医科大学の酒井敏行教授によって見出された、日本発の分子標的薬の「トラメチニブ」。皮膚がんの一種「メラノーマ(悪性黒色腫)」に絶大な効果が確認され、2013年には米FDA(米食品医薬局)で承認。日本国内でも早期認可に期待が寄せられている。前回は、トラメチニブを発見するまでのプロセスを中心に酒井教授から話を伺ったが、さらに話を掘り下げていこう。
分子標的薬ダブラフェニブとの併用で劇的な効果
がんを抑制する「RB遺伝子」が不活化(活動が止まった状態)してしまうことで増悪してしまうがん。酒井教授はこれに着目し、RB遺伝子の再活性化による治療法を研究した結果、トラメチニブを創出している。トラメチニブを語るうえで欠かせないのは、治療効果の高さだ。
「『ダカルパジン』や『パクリタキセル』といった従来の薬が奏効率が約5%であるのに対して、トラメチニブは『ダブラフェニブ』と併用することで奏功率が約75%、さらに約10%は腫瘍が完全に消失する完全奏功が認められました」(酒井教授、以下同)
ダブラフェニブとは、英国の大手製薬会社グラクソ・スミスクライン社により開発された分子標的薬。メラノーマの進行に関係するBRAFという遺伝子の活性を阻害することで、がん細胞の増殖を抑制する働きが認められている。酒井教授とJTによる共同研究で見い出されたトラメチニブを導入した同社では、ダブラフェニブとトラメチニブを併用した試験も行い単剤療法と比較。その結果、併用治療の方が生存率をより有意に延長することがわかっている。
「他の治療法と組み合わせることで効果が高くなるというのは、大きな発見。併用の種類を増やしていくことで、より高い効果、さらにメラノーマ以外のがん治療に対しても期待ができます」
ダブラフェニブによる皮膚扁平上皮癌(ひふへんぺいじょうひがん)の副作用がトラメチニブとの併用により明らかに減少することも注目されている。最初は二剤併用すると副作用が強くなるために使えなくなるのではないかと危惧されたが、逆にダブラフェニブの主要な副作用が減ったのは驚きであった。
メラノーマだけでなく、様々ながん種での臨床研究も活発に
メラノーマだけではなく様々ながん治療への効果が期待されるトラメチニブ。すでに治療対象を拡大する試みも始まっているようで、今後の展開が待ち遠しい。
「メラノーマ以外のがん種を含め、現在まで世界中で104件もの臨床研究が進められてきました。現在幅広いがんでの効果が検証されつつあり、一部、既に有望なデータも得られつつあります。」
余談になるが、トラメチニブを開発した際は異なる薬名にするつもりだったとか。
「将来自分が薬を開発したら、妻の名前をつけると結婚前に約束していました。医薬品は開発者の名前が冠されることもありますので。けれど、製薬会社さんにそれは却下されてしまい…。最終的にトラメチニブに落ち着きましたが、周りからは『逆に奥さんの名前を『トラ子』に改名したら解決できる』と冗談交じりにいわれてしまい、これには閉口しました(笑)」
約束は叶わなかったが、酒井教授の真摯さと、家族を大事にする思いが伝わるエピソード。そもそも酒井教授には、骨肉腫を患い若くしてこの世を去った実弟がいて、この辛い経験が、がん治療の研究を志した原点だという。長い時を経て、その思いはトラメチニブという画期的な分子標的薬として結実し、多くのがん患者の光になろうとしている。
既に欧米で承認されているトラメチニブは、日本国内における早期認可に期待が寄せられるところ。また、酒井教授は、がん抑制に働くRB遺伝子の活性化が、がんの予防効果につながると着想し、『究極のがん予防ジュース』の開発にも、国内メーカーと協力して取り組んでいる。近い将来、トラメチニブはメラノーマだけではなく、多くの部位のがん治療薬になっているかもしれないし、それこそ、がんの発病を予防するジュースができれば、大いに注目されるだろう。そんな日が1日でも早く訪れることが楽しみだ。
酒井敏行(さかい・としゆき)
1980年京都府立医科大学卒業、’80〜’82年大阪鉄道病院研修医、’82〜’86年京都府立医科大学大学院、’86〜’88年京都府庁衛生部保健予防課技師、’88〜’91年米国ハーバード医科大学へ留学(RBをクローニングしたDr.Thaddeus P.Dryja の研究室)、’91年京都府立医科大学公衆衛生学教室助手、’94年同講師、’96年同教授、2003年京都府立医科大学大学院医学研究科分子標的癌予防医学教授、現在に至る。発がん機構の研究から始め、現在では、がんの予防法、診断法、治療法の開発をすべて企業と共同で行っている。趣味は音楽と酒と雑談。(取材時現在)