がんを明るく生きる

命に感謝、支えてくれた人々に感謝―園田マイコ(モデル)

2015年7月8日

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「がんだからと必要以上にふさぎ込んだりせず、どんどん外に出て行っていろんな人に会い、アドバイスや体験談などを聞いたほうがいいですよ」。園田さんもまた、がんを経験した人たちの言葉に元気や勇気をもらって、病気を乗り越えた1人だ。

園田マイコ(そのだ まいこ)

1969年、東京生まれ。「FENDI」「Chloé」「ヒロコ・コシノ」などのファッションショーで活躍。ファッション誌でも人気を集める。2008年、左胸に2㎝のがんが見つかり、乳房温存手術後、抗がん剤、放射線、ホルモン剤、分子標的治療薬による治療を受け、昨年、5年に及ぶ治療を終えた。食や癒しへの関心から「環境セラピー・ジュニアセラピスト」「ビューティーライフ・セラピスト」の資格を取得。(取材時現在)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死を近くに感じた瞬間は、恐怖でしたが、それが日々の充実感につながっています。

「仕事を続けられるのか」「子どもの面倒はどうするのか」。誰もがとまどうがん告知の瞬間。園田マイコさんの場合も乳がんと告げられたときには、死への恐怖とともに様々な不安がよぎったと言う。女性誌の人気モデルとはいえ、離婚をしてシングルマザー。一人息子は中2の多感な時期を迎えていた。

がんになって知った毎日を明るく生きることの大切さ

園田さんが左胸に小さなしこりを感じたのは、今から約6年前、39歳のとき。乳がんを患って闘病する母親の姿を見ていただけに、園田さんの中には「もしかしたら私も」という不安があった。そこで乳がん検診を受けようと自治体に問い合わせたところ、「検診は40歳から」との返事を得る。左胸の違和感から病院で検査を受け、がんと告知されたのはそんな矢先のことだった。

しかも、初診の際、医師から「おそらく95%は良性でしょう」と言われて一度は安堵(あんど)しただけに、「悪性」との検査結果のショックは大きかった。息子は不器用ながらも母を支えようと一生懸命であったし、別れた夫やその家族も、精神的な支えになってくれたが、それでも毎日、夜になると悲しさがこみ上げてくる。告知から2週間くらいは、息子に悟られないようにベッドやバスルームで泣いた。

「でも、涙って枯れるんですね。泣くだけ泣いたら、今度は生きる活力が湧いてきました」

2009年2月、聖路加国際病院にて。術後間もないため、意識はまだはっきりしないが、手術の成功の知らせに安堵の表情を見せる。診断と治療には万全を期したかった園田さん。聖路加国際病院は彼女が3番目に訪れた病院だった。
2009年2月、聖路加国際病院にて。術後間もないため、意識はまだはっきりしないが、手術の成功の知らせに安堵の表情を見せる。診断と治療には万全を期したかった園田さん。聖路加国際病院は彼女が3番目に訪れた病院だった。

 

それからは、手術を目前にしても、抗がん剤で髪が抜けても、もう泣くことはなかった。がんでも明るくのびのびと暮らす人たちを間近で見られたのもラッキーだった。特に印象深かったのは美容ジャーナリストの山崎多賀子さん。パーティー会場に坊主頭で現われた山崎さんは、その理由を尋ねられると、「がんになってしまったの」と笑顔で答えた。現在は自らの体験を生かして、乳がん体験者コーディネーターの認定資格を取得し、NPO法人「キャンサーリボンズ」の理事も務めている。がんになってからいっそう趣味に親しんで、以前より若々しくなったという人にも出会った。「そういう人を見ていたら悩むのがバカバカしくなってしまったんです」と笑う園田さんもまた快活で、美しさにも磨きがかかったようだ。

一人息子の中学校卒業の際の記念の1枚。抗がん剤治療の副作用も癒え、髪も伸びた。その息子も、昨年20歳を迎えた。
一人息子の中学校卒業の際の記念の1枚。抗がん剤治療の副作用も癒え、髪も伸びた。その息子も、昨年20歳を迎えた。
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