「私たちの体の中に備わった力は天文学的に大きなもの。明るい気持ちが、その力を引き出します」
35歳のときに子宮頸がんが見つかり、42歳で腎臓がん、48歳で大腸がんの手術を受けた向井さんは、講演などで人々にこう語りかける。壮絶な闘病生活を乗り越えてきた向井さんだから語れる説得力ある希望に満ちた言葉だ。
術後のうつ状態から予後の状態が悪化
29歳で格闘家の髙田延彦さんと結婚。子宮頸がんと診断されたのは、結婚から6年が過ぎ、「新しい家族を」と考えていた矢先のことで、妊娠検査がきっかけだった。
妊娠を確かめ、天にも上る気持ちだったが、1週間後に喜びは悲しみに変わった。「母体の健康のために」と受けた子宮頸がん検診の結果は陽性でクラス5。再度、大学病院で精密検査を受けたが判定は変わらず、出産は断念しなければならないと告げられた。
「その際の医師の言葉や態度があまりにも雑で……。現実をすべて拒否する気持ちに陥りました」
幸運にも、ていねいに向き合ってくれる医師と出会うことができた。そこで子どもの命を守るため、まずは子宮頸部を円錐切除するが、がんは取り切れなかった。子宮頸管を縫縮しつつ、ギリギリまで患部を切除するも、浸潤がんが残ってしまう。長い話し合いの末、結局は広汎子宮全摘、リンパ節切除手術を受けざるを得なかった。
手術日のことは、今も忘れられない。「この日が赤ちゃんの命日なんです。髙田は、向井が命を助けてもらった日といってくれますが、思い出すと泣いてしまう」。
術後、抗がん剤治療や放射線治療も受けたが、腹部感染を発症。敗血症、腎盂腎炎、たまった膿(うみ)が神経を圧迫する激痛に見舞われ、予後は長く苦しいものとなった。
「自分が生き残ったことへの罪悪感で心がボロボロでした。痛みは『当然の報い』としか思えない。治りたいという気持ちがゼロなので、免疫力がみるみる落ちて……」
様々な体験から心と体がもつ力を実感
向井さんを変えたのは、同じがんで余命わずかの若い母親の存在だった。厳しい病状だったにもかかわらず、体力をもち直して息子の小学校の入学式に出席。思いを遂げて息を引き取ったのだ。
「つらい治療を受けながらも、入学式をイメージして前向きに準備する姿勢に打たれました。彼女の強い思いが、春まだ浅い4月に、外出許可を得るまでの体力をもたらしたのです。この奇跡に励まされ、私も前へ進もうと決めました」
彼女を見習って退院の日をイメージしてみたら、夫や友人たちの笑顔が浮かんだ。すると、おなかの底がポッと暖かくなり、体の中から「治す力」がしみ出してくるのを感じたという。これを機に徐々に回復。仕事にも復帰した。
尿路上皮がんで余命3カ月と宣告された向井さんの母親もまた、その力があることを教えてくれた1人だ。「自棄(やけ)になっていた私を、懸命に励ましてくれた母が……」。しかし、泣いている時間はない。病床の母親から夢を聞き出すと、向井さんはそのサポートに尽力した。「コーラスの発表会に出たい」といえば、楽譜を手に入れ、メイクや衣装も楽しく考えた。「屋久島に行きたい」といえば、一緒に旅のしおりを作り、看護師をしていた母の親友も誘って計画を練った。「そうすると体が前に向かって歩き出すんです。余命は4年以上延び、屋久島へ2回行き、発表会にも参加できました。母はよい手本を見せてくれたんです」。
向井さんが受けた手術の数は、4年前のS状結腸がんで18回に及ぶ。経過がよいため、担当医も、「あなたの体は手術に向いています。あと10回は手術できますよ」とほほ笑む。今の向井さんには、また手術となっても「よっしゃ、次も治るぞ!」といえる自信がある。
前向きなのは支えてくれる家族がいるから。夫と2人の息子──。がんで子宮を失ったため、一度は諦めた子どもだったが、代理出産によってかけがえのない命を得た。「生きることが息子たちを守ることにもなる」。向井さんが輝いているのは、がんをおそれることなく未来を見つめているからだ。