がんを明るく生きる

息子から教えられた命の奇跡―小椋 佳 (歌手・作詩家・作曲家)

2015年10月14日

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がんになっても自然体で、自分のペースを崩さずに生きる小椋さん。「好きなタバコは、71歳になった今も1日40本吸っています。タバコが体に悪いって本当かなぁ」と真顔で語るのも小椋さんらしい。

小椋 佳(おぐら けい)
1944年、東京生まれ。67年に東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。93年に退職し、翌年には東京大学に再入学して政治や哲学を学び、大学院修士号を取得した。一方、創作活動も精力的に行い、71年、初アルバムを発表。3作目の『彷徨』は100万枚のセールスを突破した。以来、ソングライターとして活躍する傍ら、多数のアーティストへ作品を提供。代表作に 『シクラメンのかほり』『俺たちの旅』『愛燦燦』など。(取材時現在)

 

繊細なメロディーと歌声、心に響く言葉を紡ぐ小椋佳さんが、胃がんと診断されたのは今から14年前、57歳のときだった。きっかけは、仕事で知り合った医師のすすめで受けた人間ドック。20歳からタバコは1日40本。食べることが大好きで、体重は80キロを超えていたから血糖値も高く、良い結果は期待していなかった。それでもがんとの診断は予想外だった。

人間ドックを受けてから間もなく、小椋さんは、「検査を受けてください」と言う妻からの電話をコンサート先の沖縄で受け取る。そこから東京の病院へ直行。さっそく検査が開始された。「1週間の検査を終えるとすぐ手術が待っていたので、胃がんと知っても悩む時間はありませんでした。気付いたら手術を終え、体中にチューブが付いていたという感じです」。

人間の命の計り知れないパワーと神秘を信じて

幸い初期のがんだったが、転移の危険性を見越して、胃の4分の3の他、迷走神経、胆嚢(たんのう)や副腎なども切除した。人気アーティストの病に、多くの取材陣が駆け付けた。「がんには死のイメージが付きまとう。でも、突然、理不尽な形で訪れるのが死だと思っていましたから、それほど動揺はしなかった」と小椋さん。そうした感性こそが、ある意味、創作活動の原動力とも言える。

同時に小椋さんが、命の神秘や力を実感する体験を経ていたことも、がんと冷静に対峙(たいじ)できた理由かもしれない。それを教えてくれたのは彼の二男の宏司さんだった。14歳で若年性脳梗塞になり、植物人間になりかけた。医師からは「治る見込みはない」と告げられた。当時43歳で、銀行員だった小椋さんは仕事が終わると毎日病室を訪れたが、回復の兆しは見えない。

「ところがある日、彼の耳元で『あなたが美しいのは』という曲を口ずさんでみたら、息子が一緒に歌い始めたのです」。記憶も言語も失ったはずの息子が、今、自分と一緒に言葉を発し、メロディーを追いかけている。奇跡としか言いようがなかった。息子の命が生きようとしている……。涙がとめどなく溢(あふ)れた。

 

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日本勧業銀行で働いていたころの小椋さん。毎日2、3の会食を掛けもちすることもあり、いつの間にか体重が増えて、高血糖になっていた。「当時は肉中心の食事で、野菜なんて食べ物じゃないと思っていましたよ」。

 

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