がんを明るく生きる

がんにひるまず、自分のペースで―清水 国明 (タレント)

2016年1月20日

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「がんになっても深刻になり過ぎないこと。それだけでぐっと免疫力が下がってしまうように思うんです。『風邪をひいて寝込んだ』くらいにしておきましょう」と清水さん。「人間にとって自然に触れることはとても大切。不自然な中で健康的に暮らそうとしても無理があります」ともアドバイスしてくれた。

清水 国明(しみず くにあき)
1950年、福井県生まれ。73年、フォークソングデュオ「あのねのね」でデビュー。以後、歌手、作家、冒険家、実業家、ロードレースライダーとして活躍。芸能界きってのアウトドア派で、釣り、キャンプ、ログハウスづくりなどにたけ、2003年、山梨県河口湖に移住。04年にはNPO法人「河口湖自然楽校」を設立した。河口湖や瀬戸内海の無人島を拠点に、キャンプや農業体験などを子どもだけでなく大人とともに楽しむイベントや環境講演会などの活動も行っている。(取材時現在)

 

「人生は多毛作。たった1度きりだから何通りにも生きたい」

歌手デビューから40年以上芸能活動を続けてきた清水さんだが、この言葉通り、歌手の他、冒険家、実業家、ロードレースライダーなど、様々な顔をもつ。今では歌手やタレントというより、森に入ってチェーンソー片手に木を切ったり、ログハウスを建てたり、そんなアウトドア志向のイメージのほうが強いくらいだ。

「無人島に家を建てて、そこで大勢の子どもたちと原始的な生活を楽しむこともあれば、企業の依頼で社員研修をすることもあります。自分自身がアウトドアライフをエンジョイするだけでなく、みんなの中に眠っている野生のDNAを呼び起こすことも、僕の役目かもしれません」と笑う。

 

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原田伸郎さん(左)と「あのねのね」を結成したころ。デビュー曲『赤とんぼの唄』は大ヒットした。

 

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90年代からアウトドア活動を盛んに行うようになった清水さん。自らチェーンソーを握って木を伐採し、ログハウスを建てる様子が、テレビ画面に映し出される機会が多くなっていった。

 

5年後の生存率を50%も保証してくれるならそれで十分です

エネルギーのかたまりのような清水さんが、がんを患ったのは、2008年、58歳のとき。人間ドックに入ったところ、十二指腸に2センチほどのポリープが見つかった。最初の診断は「良性」で、内視鏡による摘出ですむはずだった。だが、摘出部の細胞を調べたところ、「悪性腫瘍」と診断され、結局、7時間に及ぶ十二指腸全摘の手術を受けることになった。

オートバイレースの事故で毎年1度は骨折するような生活が10年も続いていた清水さん。「だから手術には慣れていた」というが、ケガの手術とがんのそれとでは少し勝手が違った。

「どんな大ケガをしても絶対に大丈夫、自分は治るという妙な自信があったのですが、がんになって、自分も不死身ではなく、やはり死ぬんだと思いました……」

しかし、ここで死ぬわけにはいかない。3度目の結婚で授かった待望の男の子はまだ1歳。年老いた両親には、自分の病名を告げることさえはばかられた。

手術に成功しても、5年後の生存率は50%だといわれたが、清水さんは、この数字を前向きに受け止めることにした。

「明日のことは誰にも分からない。5年先の命を50%も保証してくれるなら、それで十分ですよ」

 

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