小橋建太(こばし けんた)
1967年3月27日、京都府福知山市生まれ。京セラでの社会人生活を経て、87年に全日本プロレスに入団。翌88年2月26日にデビュー。三冠ヘビー級王者をはじめ、アジアタッグ、世界タッグなど、6個のタイトルを獲得した。2000年にはプロレスリング・ノアに移籍し、GHCヘビー級王座を奪取。13度の防衛に成功して、「絶対王者」と呼ばれるように。06年、腎臓がんが発覚し、手術をする。翌年復帰するも、その後もケガなどで欠場を余儀なくされ、13年5月11日に現役を引退。現在は、がんについての講演会なども積極的に行う。著書に『自伝 小橋建太 悔いは、ない』(13年/ベースボールマガジン社)がある。(取材時現在)
第一線で活躍中、定期的な健康診断で腎臓がんが発覚した
21歳のとき、ジャイアント馬場さん率いる全日本プロレスから、レスラーとしてデビュー。以来、2013年5月にケガで引退するまで、25年間第一線で戦い続けてきた小橋建太さんは、正面から相手に挑んでいくファイトスタイルと、真っ直ぐなハートで、多くのプロレスファンを魅了してきた。
その小橋さんに、「腎臓がん」という挑戦状が叩きつけられたのは、2006年、39歳のときだった。
「毎年行っている定期健康診断を受けたら、『腎臓を再検査してください』と言われたんです」
近くの病院で再検査を受けたら腎臓がんと判明。「ずっと健康だったので、聞いたときは『えっ?』という感じでした」。第2、第3オピニオンを求めたがどこも答えは同じだった。
「生きていれば、何でもできる」という主治医の一言が手術を決意させた
「『死んじゃうのかな』と思いました。『がん=死』というイメージがありましたからね。でも、どうせ死んでしまうんだったら、試合に出て、最後まで『プロレスラー小橋建太』でいたいと思ったんです」
告知を受けた1カ月後には、脳梗塞で倒れた高山善廣選手の復帰戦への出場を控えていた。高山選手とは同い年。仲間の復帰戦にかける思いは強かった。
「『試合が終わってから手術をします』と医者に言ったら、どこの病院でも『何を言っているんだ』と怒られましたね」
腎臓は普段、膜に覆われており破裂することはない。しかし、激しいプロレスの試合中にその膜が破れて、がん細胞が飛び散る危険性があるからだ。主治医である横浜市立大学附属病院の中井川昇先生も、復帰には否定的だった。
「私は、小橋さんをプロレスラーに戻すためではなく、生きてもらうために手術をします。生きていれば、プロレスじゃなくても何でもできます。まずは生きましょう」
先生の言葉が胸に響いた。小橋さんは手術を決意した。2006年7月6日、鍛えぬかれた筋肉を避け、へその下10センチくらいを切る腹腔鏡の手術法が選ばれた。