がんを明るく生きる

百歳まで生きて最年長記録をつくる―浅野史郎(神奈川大学教授、前宮城県知事)

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「今はまだ35㎞地点。あと7㎞あると思うと、気が抜けないですね」と浅野さん。2013年3月に慶應義塾大学総合政策学部を定年退職した後、4月からは神奈川大学特別招聘教授として新たな生活をスタートさせている。読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』に不定期に出演している。

浅野史郎(あさの しろう) 神奈川大学教授、前宮城県知事

1948年生まれ。宮城県仙台市出身。神奈川大学特別招聘教授。前宮城県知事。東京大学法学部卒業後、厚生省入省。社会局老人福祉課長補佐、年金局企画課長補佐などを経て北海道庁福祉課長、厚生省児童家庭局障害福祉課長、厚生省生活衛生局企画課長などを歴任後、退職。1993年に宮城県知事選に出馬、当選。2005年11月、宮城県知事を勇退。2006年4月、慶應義塾大学総合政策学部教授に就任。2013年4月より現職。近著に『運命を生きる―闘病が開けた人生の扉』(岩波書店)がある。(取材時現在)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

治癒率が低いATLを発症。戦いは始まった

asano2「完治のためには、骨髄移植しかありません」
2009年5月25日、仙台の東北大学病院で、浅野史郎さんは主治医の張替秀郎教授から、ATL(成人T細胞白血病)発症を告げられた。発病自体は、青天のへきれきではない。2005年にATL発症の原因となるHTLV −1ウィルスに感染していることは分かっていた。しかし、ウィルス感染者のうち、ATLを発症するのは5%ほど。まさか、自分がかかるとは思ってもいなかった。実際、告知の2カ月前には東京マラソンで42.195㎞を気持ちよく完走。自覚症状はまったくなかった。
ATLは白血病のなかでももっとも治癒率が低く、治療法も確立していない。正直、恐怖を感じた。
「でも、発症してしまったものは仕方がない。考えてみれば、障害福祉課長や宮城県知事の座も、自らが望んだものではなく、すべて向こうからやって来たもの。何事も、受け入れる素地はできている。だから、ATL発症も受け入れ、戦ってやろうと思いました」
「治ったらあれをやりたい」といった目標は一切持たず、ともかく病気と戦うことだけに集中した。

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