がんを明るく生きる

スポーツマン精神で病気に向かう―渡辺一郎(東京都市大学 共通教育部 主任教授・日本ラグビーフットボール協会理事)

渡辺 一郎(わたなべ いちろう)
1957年、東京都生まれ。東京都立足立高等学校、筑波大学時代はラグビー選手として活躍。大学卒業後、体育教師として千葉県立千葉高等学校に2年間勤めた後、武蔵工業大学(現東京都市大学)のラグビー部監督兼大学教員として招かれる。1996年にラグビー部が初優勝を果たしてから、2007年に監督を退くまで6度の優勝をもたらし、海外遠征も多数行う。公益財団法人日本ラグビーフットボール協会の理事を務めるなど、ラグビーを中心にスポーツの発展、振興に力を尽くす。趣味の料理は、NHKのテレビ番組『きょうの料理』に出演したこともあるほどの腕前。(取材時現在)

 

充実した人生を送るためにはどうすべきか。がんをきっかけに考えるようになった。

渡辺さんが前立腺がんを宣告されたのは2015年12月24日のこと。年末を迎え、あわただしくも浮かれる人々の中、「生きた心地がせず、自分だけが取り残されたようだった」と振り返る。

高校からラグビーを始め、体育教師を目指して進学した筑波大学ではラガーマンとして活躍した。その後、武蔵工業大学(現東京都市大学)からラグビー指導者として請われ、大学教員としてスポーツ学を教えながら、ラグビー部監督としてチームを6度の優勝に導いた実績をもつ。

51歳で監督を退いたが、その後も日本ラグビー協会の理事として、日本のラグビーの振興に尽力している。そんな順風満帆な人生を歩んできた渡辺さんにとって、がん宣告は、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。しかし、2年が過ぎた今、がんは完治していないものの「順調過ぎて、神様が僕に『油断をするな』と釘を刺してくれたのかもしれない」と笑い飛ばせるようになった。

ポジティブに考えて行動する。それが勝利の法則

「2019 年のラグビーワールドカップ、2020 年の東京オリンピックを関係者として成功に導きたい」。その気持ちが、抗がん治療を乗り越えるモチベーションになったという渡辺さん。昨年7月に開いた『還暦を祝う会』には210 人が集まり、ラグビー部の教え子たちとAKB48 の『恋するフォーチュンクッキー』を踊った。

体の異変に気付いたのは、日課のジョギングの最中。突然激しい痛みが背中を襲い、走れなくなった。

健康には自信があったため、「疲労骨折かな」と軽い気持ちでいた。だが、知り合いの医師に相談し、MRI検査を行ったところ、前立腺に腫瘍が見つかった。翌日のクリスマス・イブには、詳細な検査をするため、当時ラグビー日本代表のチームドクターだった大学病院の医師を訪ねた。

結果は「悪性」。腫瘍マーカーは前立腺がんの可能性を示す4.0ng/mlをはるかに越える2400ng/ml。すでに背骨や骨盤に転移して、手術のできない状態だった。

「あとどれくらい生きられるのだろう」。

詳しい診断結果は正月明けにもち越された。自身ががんであることを妻と娘に打ち明けると、2人とも激しく動揺して泣いたが、それでも翌日には「前向きに生きよう」と積極的に動き始めたという。薬学部に通う娘が病気について調べ、「今や前立腺がんはそれほど怖い病気ではない」と、励ましてくれたことが大きかった。

そして2016年1月、主治医から告げられた余命は、2年から5年だった。「あと3カ月ぐらいしか生きられないのでは……」と悲観していただけに、「そんなに生きられるのかと一瞬喜んで、後で家族に叱られた」と苦笑する。それだけの時間があれば、ワールドカップやオリンピックに力を注ぎ、「65歳の定年まで働いて、社会的役目を果たすことができるかもしれない」と思えたからだ。

翌月からは、ホルモン療法と抗がん剤投与を並行する治療が始まった。髪は抜け落ち、味覚も食欲もなくなったが、仕事は休まずに続けた。「抗がん治療がこんなにもきついとは…。

「学生たちは、容貌が激変した私を気づかい、『イメージを変えたんですか』って、いつも通りに接してくれまたことが嬉しかったですね」。

 

ラグビー部の学生や仲間には、自分ががんであることを告げた。 抗がん剤の副作用で髪が抜け、外見が変わっても、学生たちは そのことに触れず、ふだん通りに接してくれたことがうれしかった。

 

2019 年に日本で開催されるラグビーワールドカップは、日本ラグビーの発展に貢献してきた渡辺さんにとっても待ち遠しい晴れ舞台だ。

幸いにも腫瘍は小さくなり、10月から2カ月間、放射線治療も行った。さらに転移を防ぐため、自分の免疫細胞を培養、活性化させて投与する免疫細胞治療も取り入れている。現在、腫瘍マーカーの値は下がり、体調も良好だ。

「悲観すると免疫力が落ちるので、何事もポジティブに考えるようにしています。上昇気流に乗るといいスパイラルを描きますが、1度落ちると坂道を転げ落ちるようにあっという間。それは長年、ラグビーを通して学びました。病気もすべて同じだと思います」

 

 

心には、試合だけでなく命も動かす力があると信じている

料理が得意で、家族の弁当と夕食を毎日作るという渡辺さんは、「食べる物も大切」と食生活を見直して、鶏肉や魚、野菜を多く摂る食事に変えた。渡辺さんは、がんになって悪いことばかりではなかったと話す。

「妻も娘も今まで以上に団欒(だんらん)を大事にしようとしてくれて、家族の絆が今まで以上に強まりました」

暗い気持ちで過ごすのはもったいないと、これまで以上に明るい気持ちで仕事にも打ち込んでいる。

「ラグビーでは、ボールの転び方1つで試合の流れが変わるし、心が勝敗を決めることもある。それは人生にも通じます。やれるだけのことはやって、それから後は運命に委ねようと思います」

誰にとっても命は永遠ではない。だから一瞬一瞬を大切に生きる。1日の重み、人生の尊さもがんが教えてくれた。

 

渡辺一郎さんの今

渡辺さんは、スポーツコーチングなど、ラグビー人生で得た豊富な経験とデータからスポーツを科学的に分析し、学問として社会に生かしてきた。大学の主任教授となった今も、ラグビーだけでなく様々なスポーツを通して学生たちを指導している。この日はバドミントンの授業。その熱心さで学生からの信頼も厚い。「多忙過ぎて免疫力を落とすことは避けようと思っていますが、やるべきことはきちんとやらないと」。社会的役割を果たし、よりよい人材を育てる目標もまた、渡辺さんの生きる原動力となっている。