「私のがん体験を反省例の1つとして参考にしてもらえたら」
30歳で子宮頸がん、35歳で子宮体がんを患った原千晶さんは、自らの体験をこう振り返る。最初にがんにかかったとき、もっと真剣にがんと向き合っていたら、2度目の発症は防げていたのではないだろうか……。今、闘病生活を送っている人には、自分と同じ後悔をしてほしくないと切に願う。
がんの再発予防より将来の出産が大切
20代には月経時の違和感から、たびたび婦人科系の病院を訪れた原さんだが、がんを疑ったことは1度もなかった。
30歳を過ぎて腹痛やおりものの量に異常を感じて病院に行ったときも同じだった。原因は子宮の入り口にできた腫瘍。医師から「取って検査しないと分かりませんが、がんではないでしょう」といわれた際、「がん」という言葉に一瞬たじろいだが、「まさか、30歳でかかることはないだろう」と、その不安はすぐに消えた。
だから、患部を切り取る円錐手術を終えたことで、すっかり治ったと思っていた。だが――。
「病理検査の結果、子宮頸がんと診断されてしまいました」
主治医は再発を避けるために、子宮の全摘出手術をすすめた。しかし、原さんとしては納得できない。再発すると決まったわけでもないのに、なぜ子宮を取らなければならないのか。それは、未婚女性にとって「子どもを諦めなさい」という酷な宣告でもあるのだ。
故郷北海道に住む両親も手術をすすめた。特に父は、母親を子宮がんで亡くし、自らも大腸がんの手術を経験していたため、「がん患者にとって、手術できることがどんなに重要かを考えてほしい」と説得した。その涙ながらの訴えに心は揺れたが、それでも原さんが手術を選ぶことはなかった。
誰もが、がんからは逃げたいと思う。でも、逃げるから怖いのであって一番の治療はきちんと向き合うこと。
「再発かもしれない」と思ったのは、子宮頸がんの治療から間もなく5年が過ぎようとするころのことだった。腹部に激痛が走り、仕事を休んだ。「もうがんは治った」と勝手に判断し、気付けば病院通いをやめて3年近く経っていた。
「腹痛や水のような多量のおりもの……、半年ほど前から、おかしいと思うことはありましたが、それが長く続くことはなかったので、放置してしまったんですね」
そして、ある日突然、のたうち回るほどの激しい腹痛が原さんを襲う。しかし、「不義理をしている」という思いから主治医のいる病院へは駆け込めず、都内のがん専門医を訪ねた。内診を終えた医師は、「これはひどいなぁ」と思わず、本音を漏らしてしまう。
「この瞬間、終わったと思いました。今度こそ、子宮切除は避けられないなぁと……」
ところが事態はもっと深刻だった。病名は「子宮体がん」でステージはⅢC。子宮だけでなく、卵巣や卵管、骨盤内のリンパ節も取らなければならない。後遺症が心配され、さらに、「万一、膀胱や直腸にまで転移していたら、手術はできません」とまでいわれた。
涙が止まらなかった。5年前に手術を受けなかったことへの後悔が渦巻き、検診をおろそかにした自分を責めた。支えは、そのとき交際していた今のご主人と母の言葉だった。「子どもが産めなくなるなんて考えるな。君の命が一番大事だ」と彼はいい、母は泣きたい気持ちをぐっと抑えて「大丈夫、私が付いているから」といって間もなく上京してきた。さらに原さんの「不義理」を責めることなく、元の主治医が手術の執刀を申し出てくれたのだ。
「がん専門病院からの依頼で、5年前のデータをいただきに行ったら、先生のほうから『僕が原さんを必ず元気にする。一緒にがんばろう』と励ましてくれました」
幸い転移はなく、6時間に及ぶ手術は成功した。術後の化学療法では、味覚障害、便秘、しびれや不眠、脱毛などの副作用に悩まされたが、どんなときも母がそばでサポートしてくれた。ウイッグで脱毛をカバーし、治療を続けながら仕事にも復帰。抗がん剤治療が終了して6年が過ぎた。
「今日の私があるのは、多くの人の支えがあったから。今度は私が支えになる番です」と、自らの体験を多くの人に語り続けている。