がんを明るく生きる

「がんも自分の細胞」と受け入れて―小西博之(俳優・タレント)

「医師に質問したことがあるんです。『よく余命という言葉を使いますが、当てになるデータなんですか』と。すると意外な答えが返ってきました。『統計学上の数字だから当てにならないことも多い』。ですから、そんな数字に振り回されるのはやめましょう。がんは3人に1人が死ぬ病気じゃない。3人に2人が死なない病気なんです」。小西さんのメッセージは力強く温かい。
「医師に質問したことがあるんです。『よく余命という言葉を使いますが、当てになるデータなんですか』と。すると意外な答えが返ってきました。『統計学上の数字だから当てにならないことも多い』。ですから、そんな数字に振り回されるのはやめましょう。がんは3人に1人が死ぬ病気じゃない。3人に2人が死なない病気なんです」。小西さんのメッセージは力強く温かい。

小西博之(こにし ひろゆき)

1959年、和歌山県生まれ。大学卒業後、NHK『中学生日記』のオーディションに合格し、体育の先生役でデビュー。その後、『欽ちゃんの週刊欽曜日』のレギュラーに抜擢(ばってき)され、欽ちゃんファミリーの一員として人気を得る。『ザ・ベストテン』の2代目司会者を務め、俳優としても、多数のドラマ、映画に出演する。2005年、腎臓がんの大手術を受けたが無事回復。回復までの日々を支えてくれた人々に感謝し、がんに悩む人を勇気づけようと講演活動を続けている。(取材時現在)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悲しかったら泣き疲れるまで大声で泣いたらいい

身長180センチのがっしりとした体格と力強いまなざしで、存在感のある役をこなす小西博之さんが、がんと診断されたのは2004年、45歳のときだった。末期の腎臓がんは20センチという大きさで、医師の説明によれば、「今、ここで死んでもおかしくない」ほどにがんが進行していた。

予想もしなかった死の宣告。「これまで風邪一つひいたことのなかった自分が、なぜ……」

悔しく、悲しくて、毎晩、風呂場で声が枯れるまで泣いた。

「感情を押し殺すことなく、ストレートに表現して良かったと思っています」と当時を振り返る。不眠に悩むがん患者さんは多いが、小西さんは泣き疲れるとビールを飲んで、ぐっすりと眠った。

デビュー当時、両親、妹とともに。母親は、小西さんが欽ちゃんファミリーの一員として人気者になった後も、息子には教員になってほしいと願っていたそうだ。
デビュー当時、両親、妹とともに。母親は、小西さんが欽ちゃんファミリーの一員として人気者になった後も、息子には教員になってほしいと願っていたそうだ。

 

そして診断から2カ月半後の手術当日、麻酔で意識が遠のく中、小西さんは医療チームの全員に懇願する。「今日ここでお会いしたのは何かの縁でしょう。僕はこれから意識がなくなりますが、でも、一生懸命がんばります。ですから、どうか僕の命を全力で救ってください。お願いします」。

するとスタッフの一人が、「コニタン、ガンバレ」と泣きながら小西さんの足をさすった。伝播(でんぱ)する涙……。全員、涙が止まらなくなった。前代未聞ともいえる手術の仕切り直し。それから1時間後、「絶対に助けるぞ!」と言う執刀医の掛け声で9時間に及ぶ腎臓がんの摘出手術は始まった。

「彼の体に勝利のVサインを刻んだ」と言う執刀医の言葉が、手術の成功を告げていた。勝利のVサイン――腫瘍が大きかったため、肋骨(ろっこつ)の一部を切りはずしての手術は、体にその証しを刻んだ。

「主治医は勝利のVサインと言いましたが、どちらかといえばVよりUですよね」と笑う。この傷口が、4日でくっ付き、5日目に抜糸したというのも「奇跡」だ。
「主治医は勝利のVサインと言いましたが、どちらかといえばVよりUですよね」と笑う。この傷口が、4日でくっ付き、5日目に抜糸したというのも「奇跡」だ。

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