がんを明るく生きる

「がんも自分の細胞」と受け入れて―小西博之(俳優・タレント)

2015年1月27日

怖いのはがんではない。「がんは死ぬ病気だ」と自分で決めつけることです。

 

誰もが幸福と不幸を半分ずつもっているという恩師「欽ちゃん」の教え

vol5_konishi02あの大手術から10年。今、小西さんは健康を取り戻し、俳優としての仕事と、さらに年間100回を数えるがんをテーマとする講演を行っている。小西さんは、なぜ、がんに屈しなかったのか。

「手術はしましたが、病気と『闘う』という意識はありませんでした。だから、勝つも負けるもない。がんも自分の細胞と気付き、『受け入れよう』と決めたのです」

「受け入れる」という考え方は芸能界の恩師、萩本欽一さんの影響だ。萩本さんは欽ちゃんファミリーの面々によく「運の話」をした。「自らの運を黙って受け入れなさい。運は誰にも平等で、不幸と幸福は50パーセントずつ。だから、だめなときも悲観しない。だめなときほど運はたまるのだ。悲しみ過ぎず、喜び過ぎず、自分の身に起こったことを受け入れて生きなさい」。小西さんは、がんになって初めて、この言葉の深さを知ったという。

もう一つ大切なのは、「楽しい目標をもつこと」。これは大学時代、心理学の教授に学んだ。例えば高校球児が「甲子園に行こう」と決めると、その目標はつらく苦しい練習と直結する。けれども視点を変えて「甲子園の夜の枕投げが楽しみ」とすると、目標は一気に楽しいムードに変わる。小西さんは、「がんが治ったら、役者として仕事をする傍ら、講演会では多くのがん患者さんを励まそう」と目標を立て、生き生きと働く自分の姿を思い描いた。

がんに悩む人たちに元気を!

そして現在、この一心から日本全国を巡って講演活動を続ける。多くの人を勇気づけることを使命として喜んで「受け入れている」。がんを体験して、以前より強く成長したと感じている小西さんは、「がんになっていない人は、人間的には未熟かもしれない」と笑う。がんは小西さんからすべてを奪ったりはしなかった。むしろ、多くの人との縁と感動をもたらしたのである。

(左) 『新十津川物語』(明治編・1991 年10 月放送・NHK)の北海道のロケ地にて。山津波に見舞われた奈良県十津川村の住民が北海道へ移住し、原生林を開いて「新十津川村」を作るという明治中期の実話に基づくドラマ。小西さんは左翼運動に身を投じる中崎豊太郎役を熱演した。(右)子どものころからウルトラマンのファンで、隊長になるのが夢だったという小西さん。2007年、復帰後の作品でその夢をかなえ、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』で、ZAP 隊長・ヒュウガを演じた。
(左) 『新十津川物語』(明治編・1991 年10 月放送・NHK)の北海道のロケ地にて。山津波に見舞われた奈良県十津川村の住民が北海道へ移住し、原生林を開いて「新十津川村」を作るという明治中期の実話に基づくドラマ。小西さんは左翼運動に身を投じる中崎豊太郎役を熱演した。(右)子どものころからウルトラマンのファンで、隊長になるのが夢だったという小西さん。2007年、復帰後の作品でその夢をかなえ、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』で、ZAP 隊長・ヒュウガを演じた。

小西博之さんの今
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俳優として、講演会の語り手として忙しい日々を送っている。壮絶ながん体験をユーモアと感動で語る小西さんの講演には、がん患者さんやそのご家族、医療関係者らから、「忘れていた笑いと爽やかな涙をありがとうございました」との感想が寄せられる。また、「子どもたちに命の大切さを知ってほしい」との思いから、小・中学校での講演活動にも力を入れている。「子どもたちが、『つらくても死のうなんて思わず、がんばって生きる』と感想をくれるのが、何よりうれしい」と小西さん。

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