がん哲学との出会い

日本の医療に何が足りないのか、主体的に患者の隣人になりたい。

私が最初に「がん哲学」を提唱したのは2001年で、その7年後に「がん哲学外来」を開設しました。昨年「がん哲学外来市民学会」を設立し、「がん哲学外来コーディネーター養成講座」を始めました。その間、06年には「がん対策基本法」が成立、日本人の死因最多となったがん対策のために「がん対策推進協議会」が置かれました。「がん拠点病院」では、患者の視点から「がん相談」も始まりました。まさに、敬愛する新渡戸稲造先生の「人生は限りなき種蒔きなり。発芽も収穫も天意にあり」の観があります。

とはいうものの、07年の暮れ、私が勤務している順天堂大学病院でも、患者は多いのに、「がん相談」窓口に来る人は少ない、という現実を抱えていました。「何かいい案はないか」、「『がん哲学外来』ならやってもいいですよ」と話し合い、翌1月に「がん哲学外来」を開設しました。時代が押し寄せてきていたのでしょう。1日4組の予定が8組になり、予約待ちが80組になりました。それは、まさに医療の隙間とも言える現象で、日本の医療に何が足りないのかを教えてくれました。

本来の「外来」とは「医師が外に出る」ことなのに、医師も患者も病院を「外来」と思っている。その考えを変えたい、また、「陣営の外」にも積極的に出たいと考え、がん哲学「外来」と名付け、09年には「NPO法人 がん哲学外来」を立ち上げました。あいまいなグレーゾーンを確信をもって語る、それこそが「哲学」の分野です。また、何のためにがん哲学外来をやるのかといえば、この外来は、ただがんの情報を提供するための1時間ではなく、ドアを開けた時の患者の悲しい、悩みの顔が、帰りにはほんの少し明るくなっているように。そうでなければ、やる意味がないと思っています。では、グレーゾーンに確信を持って答えられるものとは何か。それは愛しかない。自ら主体的にその人の友人、隣人になることだと思います。
言葉足らずですが、次回からは、具体的にがん哲学外来で見えてきたことなどをお話ししたいと思います。

樋野興夫樋野興夫(ひの・おきお)

医学博士/順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、フォクスチェースがんセンター、癌研実験病理部長を経て現職。
近著に『がん哲学』『末期がん、その不安と怖れがなくなる日―がん哲学外来から見えてきたもの』など。(取材時現在)

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