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がん研究最重点課題の一つ、「がん悪液質」を克服できれば「天寿がん」も夢ではなくなる

監修:向山雄人(むかいやま・たけと)がん研有明病院 緩和治療科 部長

2013年5月13日

緩和治療の最前線を紹介した前回に続き、がん患者の苦しみと向かい合いながら研究を進める向山雄人氏が、世界のがん研究の最大課題の一つと言われる「がん悪液質」について語った。

がん進行で体に起こる慢性の炎症が、さまざまな異常を引き起こす

「悪液質」とは、cachexia(悪い状態)いう医学用語の訳語で、明治時代に訳されたまま現在も使われています。悪液質は心臓や呼吸器の慢性疾患など、がん以外の病気にも見られるので、私たちはがんを原因とするものを「がん悪液質(cancer cachexi)と呼んでいます。打撲や怪我など短期間で治る「急性炎症」と異なり、がんは治癒することがない「慢性炎症」とも呼ばれています。

がんの進行に伴って慢性の炎症状態が体に生じ、脳神経系・内分泌系・代謝系・免疫系の異常を引き起こして、「体と心の衰弱・消耗」と「がんの急速な増大・転移」を引き起こし死に至らしめるのが「がん悪液質」です。「がんの本質的な病態像」と言えるでしょう。

•がん悪液質による心と体のダメージ

VOL.2QOL
がん悪液質が進行して、筋肉が委縮すると日常での活動力が低下してくる。呼吸するために必要な肋間筋が萎縮すれば換気は低下、咽頭、喉頭、食道周囲の筋肉が衰えれば嚥下障害や誤嚥を起こし、誤嚥性肺炎を起こし易くなる。また心臓や内臓の筋肉も衰える。さらに今までできたことできなくなり、身の回りのことが自分で出来なくなったり寝たきりになれば、身体的苦痛だけでなく、精神的苦痛やスピリチュアルペインが増悪する。こうしたことから、がん悪液質が進行した場合、心の治療やケアがより重要になる。

 

さて、紀元前4世紀に「近代医学の開祖」と呼ばれるギリシャの医師、ヒポクラテスが予言していたがん悪液質の全体像が近年の先端科学の進歩でようやく見えてきました。

現時点での解析結果では、がん悪液質を起こす原因(物質)は複数あり、かつ様々なネットワークを形成しているため、単純化することはできませんが、この中のメインストリームの一つに細胞から細胞へ情報を伝える働きを持つ「サイトカイン」の変調が挙げられます。

本来サイトカインは、がんや感染症に対抗するために免疫システムを強化する情報を伝達する役目を担った物質ですが、皮肉にも、がん細胞そのものと、がんに反応した他の細胞・組織からサイトカインが過剰に産生・分泌されて炎症を起こし、それが体内で多くの異常を引き起こします。

これらは、「炎症性サイトカイン」と呼ばれ、がん悪液質を誘発します。炎症性サイトカインには「インターロイキン1β」や「インターロイキン6」「インターロイキン8」「TN-α」などがあるのですが、今回はインターロイキン6(IL−6)を例に、がん悪液質を引き起こす仕組みを説明していきます。

 

人間を動けなくし、自分の栄養にする。がんはまさにエイリアン

過剰に産生されるIL-6は、体内のタンパク質を分解する酵素のスイッチを常に「オン」の状態にします。そのため体内のタンパク質はアミノ酸に分解されてしまい、タンパク質から構成されている全身の筋肉はどんどん萎縮していきます。しかも、がんはこのアミノ酸を自分の栄養にするのですから、人間を動けなくしておいて食べつくす、まさに「エイリアン」そのものです。

またIL-6は血液中のタンパク質の主成分であるアルブミンの生成を抑制します。アルブミンは血液中の水分を保つ役割をもつため、不足すると血管内から水分が漏れ出し、足などにむくみが発現し胸水や腹水は増加します。また、鉄からヘモグロビンを合成する働きをブロックする物質(ヘプシジン)を作り、「がん性貧血」が進行します。

さらに、酵素の働きを抑制するため身体機能の繊細な調整がうまく行かなくなり、薬の分解能力が低下するため、薬の副作用が強く出ます。最近の研究で、脳神経に作用し、食欲不振、倦怠感、不眠、抑うつ、難治性がん疼痛(神経障害性疼痛)などを引き起こすことも明らかになっています。

 

•インターロイキン(IL-6)と生存率の関係

VOL.2QOL
がん研有明病院の緩和ケア病棟に入院し亡くなった患者の最終入院時における血中IL-6値と、生存率(生存期間)の関係を示した。IL-6値が高い程、生存期間が短いことが分かる。この結果から高IL-6血症(がん悪液質)は心身の症状だけでなく生存率とも密接な関係があることが示唆される。

抗体医薬や栄養療法など、がん悪液質克服への挑戦が始まっている

このように、がん悪液質の仕組みは解明されつつありますが、残念ながら、その治療法はいまだ確立されていないというのが現状です。

過剰な炎症性サイトカインが体内の細胞表面にあるサイトカイン受容体と結合すると、がん悪液質のスイッチが入りますが、この結合を阻止する作用を持つサイトカイン、またはサイトカイン受容体に対するモノクローナル抗体と呼ばれる抗体医薬や、サイトカインとサイトカイン受容体が結合した後の細胞内シグナル伝達をブロックする低分子医薬などの薬物療法に期待が集まっています。私も、「感染症を伴わない高血症改善薬=がん悪液質治療薬」としてこれらの製剤を用いた治験を計画中です。

さらに、薬物療法以外にも、栄養サポートチーム(NST)の協力を得た栄養療法や、理学療法士の指導の下によるリハビリテーションなど、さまざまな分野から「がん悪液質の克服」に向けての挑戦が始まっています。

薬物療法、栄養療法、リハビリテーションを軸とした処置で症状が緩和されて高いQOLを保ちつつ、がんの増大・転移を抑制できれば「患者さんが、がんと共に長生きする」、すなわち、「がんの根絶」ではなく「がんとの共存」という新しい概念で、「苦痛のないまま天寿で亡くなった人を解剖したら、がんがあった」というような「天寿がん」も夢ではないでしょう。

がん悪液質は、進行度により、「前悪液質」「悪液質」「抵抗性(進行性)悪液質」と三つのステージに分類できますが、将来、早期に「前悪液質」と診断して治療を開始できれば、がんの治療成績の向上も期待できると考えています。

がん悪液質の治療に有効なものとは?

がん悪液質の状態では、大量に栄養を取ることは意味がなく、必要な栄養素を摂取することが重要となる。例えば、イワシなどの青魚の脂身に豊富に含まれる「EPA(エイコサペンタエン酸)」、「DHA(ドコサヘキサエン酸)」、EPA とDHA の結合産物の「リゾルビン」などが炎症性サイトカインの働きを抑制することがわかってきた。しかし、体重減少や体力低下の予防に必要な1 日の摂取量は2g。これはイワシ3〜4 尾分に相当するので、現実的には摂取不可能。そのため、栄養機能食品(商品名:プロシュア)が開発されている。また基礎実験では医療用麻薬(オピオイド鎮痛薬) のモルヒネもがん悪液質の原因とされるTNF–αの発現を抑えることが報告されている。この他にがん悪液質治療薬の候補は多数あり、国際的な治験ネットワークによる共同研究で早急に有効な治療薬を実地医療の場に導入することが必要だ。

※PROSURE はアボット・ラボラトリーズ社の登録商標です。

taketo_mukaiyama01向山雄人(むかいやま・たけと)
がん研有明病院緩和治療科部長。著書に『痛みゼロのがん治療』(文春新書)など。(取材時現在)

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