コラム:がん治療の現場から

第3回「本当に“病院に住んでいた医者”の仕事の流儀」

島田英昭(しまだ・ひであき)
東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科教授(食道・胃外科担当)

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父親が他界したことをきっかけに医者を志し、千葉大学医学部に進んだ私ですが、高校時代と変わらず、部活動と勉学という二足のわらじのような学生生活を送っていました。部活動については、高校ではサッカーと剣道で頭部を酷使したので、これ以上は差し障ると思い(笑)、大学ではテニスの朝練で汗を流し、学生寮とテニスコートを往復する毎日。団体戦ですが東医体・全医体でも優勝することができました。

当時の医学生は、多くが6年生までクラブ活動に熱中していましたが、学生寮の仲間たちとの試験勉強はかなり密度の濃いものでした。よく医師国家試験の合格率が高いなどと言われますが、決して試験が簡単だからではなくて、医学生の普段の勉強内容がとても濃いからであることは間違いありません。

病院に住むことから始まった、医者としてのキャリア

卒業1年目の研修医時代。当時の千葉大学外科の医局は「野武士」という言葉が似合う雰囲気で、かなり厳しかったです。いまの研修医なら1週間で音を上げてしまうかもしれません(笑)。入局したのは千葉大学附属病院の第二外科です。消化器が主体で、臓器移植も手がけていました。ここでの日常は相当厳しいもので、担当患者がICUに入ると1週間は病院から出られないということも。研修医となって学生寮から病院近くのアパートに移りましたが、1か月ほど病院に泊まって久しぶりに帰宅したらクモの巣が張っていて・・・。これでは家賃がムダだと思いアパートの契約を解除して、その後は病院のカンファレンスルームに住むことにしました。あくまで昔だから許されたお話ですが、私からすれば「レジデントの語源は『病院に住む』だから問題なし」という感じでしたけどね(笑)。外科では4~5年上の先輩にマンツーマンで徹底的に指導されました。当たり前のことですが、ミスがあると激しく指導されましたし、先輩からは「どんな重症な患者さんでもちゃんと治して帰すのが医者だ」と、医師としてのプライドはなんたるかを叩きこまれました。

たくさんの患者さんとの出会いがありました。手術が怖くてオペ当日に逃げてしまった人、後々のことを心配してか、相続の相談まで持ちかけて来る人、合併症を起こしたけど何とか頑張って元気になった人…思い出すとキリがありません。嬉しかったのは、心から「ありがとう」とおっしゃってくださったり、お礼の手紙が届いた時。この仕事に就いて良かったと実感する瞬間です。

そうした経験から辿りついたのは「医者の大切な役目のひとつは、患者さんとのコミュニケーションである」ということでした。最初は医師とは理系の仕事なのかと考えていましたが、こと臨床医に関しては文系の素養が求められ、患者さんと意思の疎通ができないことには、どうにもこうにもいかない仕事だと気づかされました。

与えられた仕事に全力を尽くすだけ

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私にとって医者の仕事とは「与えられた使命に全力を!」、これに尽きます。「この領域は面白くない」「あまり気が乗らない」など、第一印象でネガティブに思っても意味がありません。もともと断れない性格で、頼まれたらやる主義ということもありますが、あまり複雑に考えず、巡り合わせでその場面に私がいたら、あれこれ思案しないで全力投球しようと決めています。自分の人生の最期を迎えた時に「後悔なく仕事をした」と思えるなら本望です。その境地に近づきたいですし、得た知識や技術を役立てたいと毎日考えています。

 

shimada_vol.1_02島田英昭(しまだ・ひであき)
東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科教授(食道・胃外科担当)。1984年、千葉大学医学部卒業後、同附属病院第二外科入局。87~91年、同大学院医学研究科博士課程(外科系)、91年~93年、マサチューセッツ総合病院・ハーバード大学外科研究員。97年、千葉大学附属病院助手(第二外科)、02年、千葉大学院医学研究院講師(先端応用外科学)、08年、千葉県がんセンター主任医長(消化器外科)。08年、千葉大学医学部付属病院疾患プロテオミクス寄付研究部門客員教授(消化器外科)、09年10月より、現職へ。胃がんや食道がんの専門医として評価が高い。(取材時現在)

東邦大学医療センター大森病院 消化器センター外科
http://www.lab.toho-u.ac.jp/med/omori/gastro_surgery/index.html