がんと闘う名医

患者さんの体にやさしい医療を目指し最先端医療に挑む―森安史典(東京医科大学病院 消化器内科主任教授・診療科長)

2015年4月24日

vol6_doctor01森安 史典(もりやすふみのり)
東京医科大学病院消化器内科主任教授・診療科長
1950年、広島県生まれ。修道高校から京都大学医学部へ。75年、大学卒業後、倉敷中央病院、天理よろづ相談所病院を経て、83年に京都大学医学部附属病院へ。エール大学留学などでも研鑚(けんさん)を積み、96年、消化器内科助教授に就任した。2000年より現職。日本超音波医学会理事のほか、日本消化器病学会、日本肝臓学会などの専門医、指導医、評議員を務める。(取材時現在)

 

 

 

 

がん根治を使命に常に新しい治療法を求めてきた森安が、一貫して守り続けてきたのは、正しい診断と正しい治療。患者さんの命と向き合い、その声に耳を傾ける日々。森安が歩んできた40年には医師として「こうあるべき」という思いが貫かれている。

 

ラジオ波焼灼(しょうしゃく)療法(RFA)」や「ナノナイフ(不可逆電気穿孔法(ふかぎゃくでんきせんこうほう)=IRE)」など、森安が実践する治療法には、一般の人にとって耳慣れない医学用語が並ぶ。これらは消化器内科の現場で行われている治療法の名前。森安はこうした治療法にいち早く注目し、着手してきた。

なかでも最新治療の一つである「ナノナイフ」は、専用の機械が国内にまだ4台しかなく、しかも治療(臨床研究)に使っているのは、森安が主任教授を務める東京医科大学のみ。消化器関連の学会では、「新しい診断・治療技術については、まず森安先生に聞いてみよう」と考える医師が少なくない。さらに、「森安先生が認めて導入した診断法や治療法は、10年後には必ず日本の医療現場で主流になる」と言われることも多くなった。

父子とも京都大学出身だが、父親は官僚になり、息子である森安は医師の道を選んだ。森安に影響を与えたのは高校時代の恩師だった。軍人上がりの教師は、常にこう言い続けて生徒たちを教育したという。

「いつ死んでも、後悔しないような仕事を選びなさい」

この「いつ死んでも」というフレーズを、いつ砲弾によって命を落とすかしれない戦地で生き抜いた士官上がりの教師が言うと、リアリティと重みがあった。「仕事とはそのように選ぶものなのか――。それなら自分は、人の命を、命がけで守るような仕事をしよう」。こうして森安の進路は決定付けられた。

森安が医学部を卒業した70年代半ばは、画像診断の黎明(れいめい)期と言える。「それまでは患者さんの体の中を画面で見ることはできませんでした。ですから、手術をするにしても、とにかくおなかを開いてみなければ分からなかったし、またどんな小さな腫瘍でも、開腹手術が必要とされました」。

そんな時代に登場した画像診断の技術。これを知ったとき、森安は医師としての未来に光明を見た。これなら患者さんの体にメスを入れなくても体内の様子が分かる。命を守るには正しい治療が必要であり、それにはまず正しい診断が不可欠であると考えていた森安は、画像診断に可能性を感じ、迷わず消化器内科の医師としての道を歩み始めるのだった。

「あれから40年が過ぎようとしています。今や画像診断は当たり前になり、しかも、かなりの正確さで体内の様子が分かるようになりました。さらに画像診断の進歩は、開腹せずにすむ内視鏡手術なども可能にしました。患者さんの体の負担を軽減するという点で、これは素晴らしいことです」

森安が最新の医療技術に着目するのは、単に「新しい」という理由からだけではない。「診断技術が発達し、せっかくがんが早期発見できるようになったのだから、それに見合うような体に負担の少ない治療法はないものか……」と常に考えているからだ。

「ですから、『先見性がある』と言われることもありますが、それはカンが鋭いなどということではないのです。考え続け、探し続けているからこそ分かることだと思っています」。最新医療機器の開発に熱心なアメリカのベンチャー企業の動向にも敏感で、可能性を感じるものはどんどん取り入れていく。安全性や有効性を確かめて、それをどこでも使える医療レベルにまで引き上げるのが自分の仕事と決めているのだ。

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スタッフとともに患者さんの診療方針を決めていく森安教授(左端)。ハイレベルな医療技術と先見性をもつ教授とともに医療現場に立てることについてスタッフは、「こうした機会を大切に、先生から一つでも多くのことを学びたい」と語る。
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