がんと闘う名医

完治の難しいがんだからこそ最善の手術を行い希望の光を見出したい―遠藤格(横浜市立大学附属病院 消化器・肝移植外科診療科部長)

2014年3月11日

vol3_shozo1遠藤 格(えんどう いたる)
横浜市立大学附属病院 消化器・肝移植外科診療科部長

1985年、横浜市立大学医学部卒業。帝京大学溝口病院外科助手、横浜市立大学附属病院外科学第2講座助手などを経て、94年からアメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校肝移植センター留学。帰国後、横浜市立大学大学院消化器病態外科学准教授、アメリカ・メモリアル・スローン・ケタリング癌センターに留学。2009年8月に横浜市立大学医学部消化器・腫瘍外科学講座主任教授に。(取材時現在)

 

 

 

進行が極めて早く、転移しやすい膵がん。手術ができても、5年のうちに75%の人が亡くなってしまう――。「それでも患者さんの最善を考えて手術をするのが外科医の任務」と語る胆・膵がん治療の第一人者。膵がん治療の現状や最新の研究に迫った。

 

早期発見がしにくく完治も難しい、と恐れられている膵がん。肺がんや大腸がんは、一般的に6割程度の人が治るといわれているが、それに対して膵がんは1割未満である。

「なぜ治りにくいかといえば、手術をしても目で確認できない微小ながんが残ってしまい、それがいずれは再発したり、転移するからです。それでも手術を行うのが外科医の務めです。とはいえ、進行が極めて早い膵がんは、食欲がない、やせてきたなど何らかの自覚症状が出てきたときは、手遅れという場合も多い。膵がんと診断された方のなかで手術のできる人は4割程度です」

そして、遠藤は次のように警鐘を鳴らす。「そもそも膵臓の働きの一つは、インシュリンを分泌して糖分を処理し、エネルギーへと変換すること。ですから、糖分の過剰摂取で起こる糖尿病の方は、膵がんのリスクが高い。50歳を過ぎたら年1〜2回は超音波検査を受けてください」。

静かな語り口の奥に、相手の気持ちに寄り添う優しさと雰囲気が漂ってくる。

医師の家系ではない。父は銀行員だった。なぜ医師に、しかも、最も難しい手術の一つとされる膵がんの外科医を選択したのか。

「子どものころに、アフリカで医療活動をしたシュヴァイツァー博士の伝記を読んで感銘を受けたのは覚えていますが、どうしても医師にという強い志があったかどうかは疑問ですね。一時は建築家もいいな、と思ったくらいですから」

勉強一筋といった青年ではなかった。高校時代のクラブ活動は美術部。夜行列車で松本まで行って、北アルプスの穂高岳で風景画を描いたりした。仲のいい友人たちと映画を作ったりもした。

横浜市立大学医学部ではヨット部で活躍。ちなみに夫人はフェリス女学院のヨット部のマドンナだった。遠藤の溌剌とした青春時代を彷彿とさせる。「外科が性にあっていたのでしょうね。がんだけではないですが、悪いものを切り取り、体のなかをきれいにして、手術が終わった翌日から、患者さんはだんだんとよくなる。目に見える手ごたえがあります。初めて病棟に出た医学生のとき、内科、外科、放射線科、麻酔科といろいろ回って、チャレンジしたいと思ったのが外科でした」。

こうして遠藤は1985年、一般外科の医師となる。そして、胃がん、乳がんなど多くの手術を行ってきた。しかし――。7年後の1992年のこと。遠藤は、進行した胆道がんの手術に立ち会った。

「肝臓、膵臓の機能を損なうことなく、肝臓に広がった微小ながんを取り除く、極めて難しい手術を見て、感動しました。外科医として憧れる手術でした。しかもその患者さんは、術後7年も生きられた。当時は5年生存率が15%だった時代です。まさにミラクルでした」

この恩師との出会いを契機に、遠藤はそれまでの一般外科医から、肝・胆・膵の専門外科医として道を究めていく。

そしておよそ20年。遠藤は、かつての恩師と同じ立場の第一線の膵がんの外科医として、また「後輩を育て、医局と教室を運営する」管理職として、寝食を忘れる忙しさの真っただ中にいる。

アメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校に1年間留学した。写真はそのときの指導医のファミリーとともに。
アメリカ・カリフォルニア大学ロサンゼルス校に1年間留学した。写真はそのときの指導医のファミリーとともに。
次のページへ

同じシリーズの他の記事一覧はこちら